building
vertical plotterの描画プログラムを刷新し、ランダムな大きさのボックスをひたすら描き続けるようにした。今までは、何らかの画像ソースをもとに絵を描いていたが、今回、描かれる画像は完全にランダムで、自動的に生成される。設置場所も変更して、A0サイズ弱の紙に大きく描画できるようにした。
ただ大きさの違う四角を、ランダムに分散させながら描き続けるだけという単純な仕組みだが、予期しないボールペンのかすれや、モーターの脱調(空回りすること)などによって、面白い表情が生まれた。プログラムを試行錯誤する過程で、紙の上を這いずり回ったボールペンの軌跡が良い感じのノイズになったと思う。
ちなみにこの絵は、夜、寝る前に機械を走らせ、朝起きたら止めるというのを3晩ほど繰り返した結果、生まれたもの。普段わりと忙しく、疲れて帰ってきて一刻も早く寝たいけれども、絵を描いてみたいという自分の代わりに、夜通し、機械が動いてくれている。自分は仕組みを考える抽象思考を担当し、キカイのほうに労働を担当してもらうという、産業では当たり前の作業分担でやっている。だいたいこんな感じの絵になるだろうと思って、眠りにつき、朝、起きると、意外と予想から外れた表現になっているケースが多く、面白い。このキカイが、ただ慌ただしく仕事に行く準備をするためだけの時間だった朝に、わずかながらでもそういう楽しみを与えてくれ続けると良いと思う。またすぐ飽きてしまうのかもしれないが…。
なお、絵の右下にぶらさがっている「楕円テンプレート」はただの重りで、何の意味もない。
これは純粋に面白い。
作品の背景/ストーリーもあるし、現代における生産/労働の仕組みを自分という個の中に内在させるというポエティックな試みをながら、ある種の成立がうかがえる。成立とは、一定水準の成果物を生んでいることね。ただし、今は「成立している」ではなく「成立がうかがえる」という言い方をさせてください。実物を見ていなく画像で判断している故に、友人に対する八百長発言と捉えられたくないので。
これは、デザインではなくアートだと思うが、豊田の(今までの)思考を振り返るなり、ある種の成果物だと思う。
何かに出展してみたら?そこらへんの現代アートより、余程面白いと思う。
「普段わりと忙しく、疲れて帰ってきて一刻も早く寝たいけれども、絵を描いてみたいという自分の代わりに、夜通し、機械が動いてくれている。」
この一文が滅茶苦茶魅力ある。
逆に言うと、この一文が無いと俺個人は引っ掛からなかったかもしれない。この一文こそが、現代アート(もしくは、現代デザイン、現代建築含めて)の強さになるのかもしれない、なんて思う今日この頃です。
長文駄文失礼しました。
追記:上記は、掻い摘んで言うと、作品の文脈/コンテクストが見事だと言いたいわけです。如何に、他者も共有可能で且つ、共有したときに気持ちよくなる(幸せになる、ドキドキする)ようなコンテクストを生み出すか/見出すかは、時代性関係なく、成果物に強さを与える術だと思うわけでした。
sekiさん
コメントサンクス。
この試みは、指摘してくれたとおり、もはや殆ど記号化されてしまって、微妙な表現の差異を追うだけになってしまったデジタル/コンピュータアートに、物語を与えることで、解釈の土俵を置き換えようとしたもの。
自動で絵を書く機械の構想を練っていた頃から、頭の中に何となくずっとイメージされていたのが、一日の仕事を終えて、機械のスイッチを入れて、布団に入っていく自分の姿で、最初は機械が描く絵画それ自体への関心が強かったのだけど、ある時ふっと、指令を出して布団に潜りヌクヌクする自分と、朝まで線を引き続ける機械との関係のほうが面白いと気付いた。
ひとりの人と、機械の、二者によるシンプルな関係の物語。物語には他者が必要なのだけれど、この場合には、機械が他者に据えられた。
生成されるボールペンのドローイングは、その物語の挿絵として存在価値を与えられる。物語という枠組みの中にあることで、はじめて、図像が表層以上の意味を持つ。パズルのように、隠されたひとつのコンセプトに向って、いく通りもの方法で読み解いていくものとしての芸術のあり方がある一方で、物語の挿絵という立ち位置、あり方は魅力的だと思う。前者は完成されているけれども閉鎖的で、後者は独立性が失われる代わりに開放的になる。
多様性の時代のなか、私性の表現が許されている現代…
私性の表現は結局のところ日記にしかなれず、物語ではない。
日記はその閉鎖性ゆえに価値があるけれど、
そのままでは物語にはならない。
パーソナルな表現を、どうやって物語にするか。物語になってはじめて、芸術は他者と共有可能な形式になるようにも思う。
しばらくこの試みは続けます。
ちなみに、あまり読者もいないこのサイト、コメントをくれて嬉しいです。またちょくちょく見てくれ。
以前のブログのアドレスを失念してしまい
今日、偶然こちらを見つけて嬉しかったです。
以前行われてた自動生成も楽しみでしたが
モニターを飛び越えて自動で描かれていくとおもうとタマラナイです。
ボールペン?のムラやペン先の震えによる揺らぎがこれまたタマラナイです。
新ブログ見つけて嬉しかったのでコメント失礼しました。
>SSSさん
コメントありがとうございます。
ムラや揺らぎは良いですよね。
完全にアナログな揺れでなく、
アナログなものをデジタル制御したときの、
不安定さと正確さが同時に感じられる描線に惹かれます。
更新止まっていますが、また観に来てください。