Scriptographerを使ってillustratorをスクリプト制御することを覚えた頃、マウスでillustrator上に線を引くと、その線が自動的にクダに変わる仕組みを作った。その自作ツールを使って描いたのが上記の絵(さらにエフェクトをかけているが…)。この頃すでに、ツールを自作することにとにかく強い憧れを抱くようになっていた。

ツールの自作に思いが至ったのは、ひとつには、自分の発想や表現は、いつもツールによって広げられてきたと思っているから…。小学校6年の時、家にパソコンが初めて来た時から、新しいツールとの出会いがいつも自分に新しい関心をもたらしてくれた。「キッドピクス」や「ぱたぱたアニメツクール」が無ければ絵に関心を示すことはなかっただろうし、「Klik&Play」が無ければゲーム制作に関心を示すこともなかっただろうし、「Rebirth」「Reason」が無ければ音楽制作をすることも無かったと思う。ツールを自分で作れたら、またひとつ新しい見方ができるようになるかもしれないと思った。

もうひとつには、自分は、ツールの助けを借りることで、何とか今まで、表現行為が楽しいものだと思って生きてこられたから。表現行為には必ず、どこかの段階で殆ど苦行とも思えるような「作業」を要する。例えば、建築学科の学生だった頃、図面を描く作業で、広大な面積の床に0.5ミリ感覚で何百本もの線を縦横に引くことで、床のタイルを描いていくという作業をやったが、はっきり言ってあれ程つまらない作業はなかった。これがCADソフトを使えば一瞬で終わり、表現行為へのモチベーションは、あの手の苦行によってかき消されずに済む。自分は、自身が、その手の苦行をものともしない強靱な創造的衝動を持ち合わせていないことを知っていた。だから今でもあらゆるツールに頼って、省略できる手間は省略するようにしている。

ちなみにこれは多くの人がそうなのだと思う。一部の非凡な人たちをのぞいて、多くの人たちの創造的衝動の芽はもろく、作業の面倒臭さという凶悪な力によって、すぐに潰されてしまう。しかし何万枚というタイルの目地を手描きさせるような真似をしなければ、潰されずに伸びていく創造力が確実にいくつもある。苦行を経ることで培われる創造力が大事だという事を説く人もいるだろうけれども、それをスキップする事で、表現行為の楽しさを持続させられる人を増やせるのであらば、僕は、そちらのほうが大事だと思う。

長くなったが、ツールの自作を学習することで、より苦行を減らし、創造する楽しさより面倒くささが上回ることがないようにしたいという思いがあった。上記の画像の例で言えば、こういうクダがたくさん泳ぐような絵を描きたいと思い立ったはいいが、illustratorのペンツールでチマチマ描くのは面倒で描く気がしないので、自動クダ描きツールを作って、マウス一振りですぐクダを生成できるようにした。これを作ったことで、クダの数を10倍に増やしてみよう、とか、クダの形をこんな風に変えてみよう、とかいった実験も容易に出来るようになった。チマチマ手作業を続けていては、こういう実験にまでモチベーションは続かなかったかもしれない。自分は、手間を減らすことは創造力の射程を広げると思っている。