Human printer from toyoda shuhei on Vimeo.
Arduinoというシステムを使って人力プリンタを作る試みをしてみた。モーターの先にサインペンを取り付けて、モーターの回転によってペン先を上下させながら画像を描くというしろもの。x軸、y軸の移動は手動で行う。特に意図はないが、グーグルのロゴと、モナリザと、アップルのロゴを3つ並べたものを書き出してみた。画像は一度、白と黒の2階調のデータに変換した上で、それをさらに別途作成したプログラムにより、0と1の配列に変換し、Arduinoに読み込ませている。その配列によってモーターの上げ下げを判別するような仕組みを作り、絵をプロットしている。出来上がったものが上の画像…。
機械制御の正確なペン先の駆動に、あえて「人力」という曖昧な要素を入れることで、面白い効果が生まれるのではないかという期待をこめて作ってみた…。人力による「味」が若干出ているような気もするが、これなら普通にフリーハンドで横線を引いても同じような絵が出来上がる気もする。精密さの中に少しだけあいまいなゆらぎが入るくらいが良いのだが、ここまでいくと少しフリー過ぎる。出来上がった画像は、原型を殆どとどめていないし…。
最近、何かとプログラミング関連の勉強と実験をいろいろと試みているのは、HectorやFacade printerといった素晴らしいプリンティングデバイスを自分も作ってみたいという衝動によるもの…。これらの美しいキカイを作るためには、ソフトウェアのプログラミングとハードウェアのアッセンブル、両方の知識が必要になってくる。だから、プログラムも電子工作もどちらも完全に素人の自分にとっては、このようなデバイスは長らく、遠く雲の上の存在だったのだが、processingやarduinoといった、とっつき易いプログラミング言語やシステムが昨今複数登場してきてくれたおかげで、もしかしたら自分でも似たようなものを作れるんじゃないかと思えるようになり、ついに腰が上がった。
しかし実際に学習を始めてみるとやはりなかなかに困難で、今回のこのクズレベルの人力プリンターを作るのにも結構な試行錯誤が必要だった。引き続き時間をみつけて試行錯誤を続けたい。
Scriptographerを使ってillustratorをスクリプト制御することを覚えた頃、マウスでillustrator上に線を引くと、その線が自動的にクダに変わる仕組みを作った。その自作ツールを使って描いたのが上記の絵(さらにエフェクトをかけているが…)。この頃すでに、ツールを自作することにとにかく強い憧れを抱くようになっていた。
ツールの自作に思いが至ったのは、ひとつには、自分の発想や表現は、いつもツールによって広げられてきたと思っているから…。小学校6年の時、家にパソコンが初めて来た時から、新しいツールとの出会いがいつも自分に新しい関心をもたらしてくれた。「キッドピクス」や「ぱたぱたアニメツクール」が無ければ絵に関心を示すことはなかっただろうし、「Klik&Play」が無ければゲーム制作に関心を示すこともなかっただろうし、「Rebirth」「Reason」が無ければ音楽制作をすることも無かったと思う。ツールを自分で作れたら、またひとつ新しい見方ができるようになるかもしれないと思った。
もうひとつには、自分は、ツールの助けを借りることで、何とか今まで、表現行為が楽しいものだと思って生きてこられたから。表現行為には必ず、どこかの段階で殆ど苦行とも思えるような「作業」を要する。例えば、建築学科の学生だった頃、図面を描く作業で、広大な面積の床に0.5ミリ感覚で何百本もの線を縦横に引くことで、床のタイルを描いていくという作業をやったが、はっきり言ってあれ程つまらない作業はなかった。これがCADソフトを使えば一瞬で終わり、表現行為へのモチベーションは、あの手の苦行によってかき消されずに済む。自分は、自身が、その手の苦行をものともしない強靱な創造的衝動を持ち合わせていないことを知っていた。だから今でもあらゆるツールに頼って、省略できる手間は省略するようにしている。
ちなみにこれは多くの人がそうなのだと思う。一部の非凡な人たちをのぞいて、多くの人たちの創造的衝動の芽はもろく、作業の面倒臭さという凶悪な力によって、すぐに潰されてしまう。しかし何万枚というタイルの目地を手描きさせるような真似をしなければ、潰されずに伸びていく創造力が確実にいくつもある。苦行を経ることで培われる創造力が大事だという事を説く人もいるだろうけれども、それをスキップする事で、表現行為の楽しさを持続させられる人を増やせるのであらば、僕は、そちらのほうが大事だと思う。
長くなったが、ツールの自作を学習することで、より苦行を減らし、創造する楽しさより面倒くささが上回ることがないようにしたいという思いがあった。上記の画像の例で言えば、こういうクダがたくさん泳ぐような絵を描きたいと思い立ったはいいが、illustratorのペンツールでチマチマ描くのは面倒で描く気がしないので、自動クダ描きツールを作って、マウス一振りですぐクダを生成できるようにした。これを作ったことで、クダの数を10倍に増やしてみよう、とか、クダの形をこんな風に変えてみよう、とかいった実験も容易に出来るようになった。チマチマ手作業を続けていては、こういう実験にまでモチベーションは続かなかったかもしれない。自分は、手間を減らすことは創造力の射程を広げると思っている。
JPEG画像のブロックノイズってきれいだなと思う。
このJPEG特有の、8ドット×8ドットで構成されるブロックパターンに、グラフィカルな美しさがあるという見方を教えてくれる作品に、トーマス・ルフのJPEGシリーズがある。上の画像は、家の前で適当に撮った写真に、それ風の加工を加えたもの。
作家本人は確か、「デジタル画像が、単なる抽象的な正方形の色面の集積でしかないという構造を見せつつ、人のイメージの認知力を問う…」みたいな解説をつけていたように記憶しているけれども、個人的には、この人は高圧縮のJPEG画像の、この独特の肌理を格好良いと思ったのだと思う。アナログレコードのクラックノイズとか、オフセット印刷の網点パターンとかと同じで、技術に依存して発生してしまう独特の表情に惹かれたのだと思う。この手のノイズは、「味」として解釈できる。
上で、「それ風の加工」と書いたが、この画像自体は、単に圧縮率を限界近くまで上げたJPEG画像を拡大すればよいだけなので、ほぼ誰でも作れる。こういう風に、手法自体が作品化していて、なおかつその手法が、ほぼ誰にでも開かれている類の芸術には凄く惹かれる。オープンな技術や簡素な仕組みで様式レベルの美を作れるのはすばらしい…。
先日、GoogleがJPEGに代わる新画像圧縮技術WebPの仕様を公開したとかで話題になっていたが、このWebPはどのような肌理をもった技術なのか…WebPフォーマットのファイルを表示できるアプリケーションがまだ無いので分からないが、いずれGoogle Chromeが対応する時を待ちたい。