月別アーカイブ: 2015年7月

終わり

BartlettとAA school(ともにロンドンにある有名な建築専門大学)のSummer showを観に行った。

Bartlettのほうは、一般的な期待を裏切らないゴリゴリとしたデコンストラクションの激しい造形物だらけだった。シンプルなものは一切見当たらないといっていい程、すべての作品が複雑化の一途をたどっていて、飽和に飽和を入れ子していくようなカオスさがあり、それが心地よくはあった。ただ建物としての実直さというか、空間そのものに対しての表現には、あまり関心がないのだろうとは思った。全体的に異常に装飾がつよく、独自の文脈で繋げまくった様々なモチーフ、歴史や社会状況などの物語の集積として、強引に造形化しているので、ある意味では情報化されきっていて、その態度はとても明快だった。もちろん内容は全て、よく分からなかったのだが、内容はもとよりあまり関係なく、態度の表明が目的なのだろうと思った。_DSC9555

図面やパース図などは、3Dモデルの新しいシェーディング方法の展覧会ともいうような感じになっていた…。

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その後、AA schoolのほうにも行った。Bartlettのほうはフィクションっぽく、AA schoolのほうはドキュメンタリーっぽい感じがした。どちらにしても何らかの物語を話そうとしている点では似通っている気がした。一般的に、デザインと呼ばれるようなものは何かしら問題を解決しようとするものが多く、(現代)アートと呼ばれるようなものは問題を提起しようとするものが多いと言われている。これらの設計作品群はそのどちらでもなく、ただ何か物語を作ろうとしていたように、見えた…。

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終わり

今日はかつての同僚で、現在はスウェーデンで働いている人が久しぶりにロンドンに帰ってくるというので、職場の人々と集まった。数人の小さな会だったが、これは割と気心も知れた人々だったので、言葉がやはりまだ部分的に辛いところがあるにせよ、楽しい会だった。ブルガリア人のかたが一人おり、その人からブルガリア式のいくつかの文化を教わった。(机の叩き方など。ブルガリアでは通常の会話でドンドンと机に拳を打ち下ろすことはよくやるという。)

終わり

今週末で会社を去る同僚のお別れ飲み会のようなものに参加した。いわゆるイギリス式の飲み会でほとんど何も食べずにひたすらビール等を飲み、おしゃべりをし続けるというタイプのもので、正直なところ会話も砕けてくると殆ど分からなく、やや辛かった。とはいえ、その去る同僚にはさよならを言えたので良かったと思う。

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