月別アーカイブ: 2016年5月

Ditchling

先述したオーバーブッキングのトラブルにより、旅行計画がつぶれて台無しになり、やることがなくなってしまった。しかし、知り合いがイギリス南部のDitchlingという町で、活版印刷のポスターの展示をやっていると聞いていたので、思い立って行ってみた。

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Ditchlingは小さい町なのだが、ロンドン地下鉄の書体Johnston Undergroundを設計したEdward Johnstonと、その弟子でGill Sansなどを設計したことで知られるEric Gillが当時住んでおり、小さいながらも質の高い芸術家のコミュニティがあったらしい。それらの資料を保管したDitchling museum of Art + Craftという美術館があり、企画展として「Underground: 100 Years of Edward Johnston’s Lettering for London」というものをやっていたので、観た。Johnston Undergroundの手書きのスケッチなどが、数は多くないものの展示されており、見応えがあった。特にアルファベットのOや、数字の8などのスケッチで、円の中心に小さな穴が開いており、もろにコンパスを使用したと思われる形跡があった。Johnston Undergroundは、一般に幾何学的サンセリフと呼ばれるものだが、幾何学的といっても、例えば現代のAvenirなどの書体は、大文字Oも完全な正円でなく、視覚補正を施した微妙に歪んだ円を使用している。そちらのほうが正円より正円に見え、形状が落ち着くとされているが、その図形はコンパスで描くことはできない。幾何学的サンセリフの祖としてのJohnstonの書体に残されたコンパスの跡には、コンセプチュアルな清々しさを感じた。

残念なことに写真禁止だったので、写真はない。

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そのようにタイポグラファーと関わりが深い町なので、今回もイベントに合わせて街中でいくつかの書体関連の展示をやっていた。町の建物にT.Y.P.Eの4文字を描くというインスタレーションもきれいだった。

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知り合いの参加していた活版印刷ポスター展も、様々な技法で刷られたカラフルなポスター群が良かったのだが、知り合いのものはなぜか展示されていなかった。展覧会のカタログには載っているので、どこかにあるのだと思ったが、係の人に聞いたところ、売り切れてしまったのではとのことだった。

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アーティスト・イン・レジデンスとして、若い書体デザイナーが住み込みで制作をしている工房もあった。ポーランド出身の若い女性の制作プロセスが展示されていた。この町で見つけた昔の看板や、住所サインに使われているような文字を集めて、その造形要素をミックスさせながら、この町、固有の書体を作るという試みのようだった。町や都市が、それぞれ固有の書体を作成し、町の見た目を統一、個性を出していくという試みは、ヨーロッパでは時折見られる。日本でも都市フォントという構想があるが、もちろん日本語はアルファベットとは文字数が比較にならないほど違い、制作難易度が桁違いなので、日本ではまだそのような事例は少ないだろう。

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また、このイベントと同時にArt in Ditchlingという、この町の色々な作家による合同展示会もやっていた。合同展示といっても、一箇所で集まってやるのでなく、それぞれの工房を開放して、そこで展示を行うというもの。絵画や彫刻、家具、変わったところではギター職人などの展示もあった。モサモサとした森のような庭に、ほったて小屋のようなアトリエが建っている様などは、非常に雰囲気がよかった。

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easyjet

月曜が祝日で休みなので、今日、明日とでフランスに建物を見に行く小旅行に出る予定だった。しかし、朝、空港に行ってみたところ、航空会社のオーバーブッキングにより、自分の席が無くなっていて、しかも振替え便も、同じ航路や近しい空港のものは全て満席で取れないということだった。荷物検査なども全て済ませて、搭乗ゲートに行った後、乗る直前に分かったことだった。愕然として、もろもろ問い合わせたものの、すでに打つ手はなかった。

サービスデスクに行って返金などの手続きをするように言われたのだが、他の専任スタッフを呼ぶ必要があるとかで、そこでかなり待たされることになった。他にも、便が丸ごとキャンセルされた人々や、オーバーブックされた人々が何人も押し寄せていたので、彼らも相当に苛立っていて、ため息がそこらじゅうで聞こえた。

45分近く待って、やっと係りの人が現れたのだが、その人はクレーム処理の人を別のサービスカウンターに連れて行くという役割だけの人で、連れて行かれた別のサービスカウンターで、またひたすら待たされることになった。

そのカウンターには、自分以外にも、欠航になったらしいスイス行きの便の乗客が大量に列をなしており、全く進まない列にかなり不満がたまっているようで、何度か小競り合いが起きていた。1時間ほどが過ぎた頃で、ついに何人かが怒号を上げてカウンターに詰め寄り、早く解決策を示せとまくし立て始めた。実際にカウンターのスタッフは、この1時間、私たちは今何もできない、責任者を呼んでいるが繋がらないと言って、ひたすら電話をかけていただけだったので、何の進捗も見えないその対応に怒るのは道理だった。

フランス行きだった自分は途中で別の列に呼ばれ、彼らより早くカウンターにたどり着いたのだが、長時間待ったにもかかわらず、結局、賠償のための電話番号と説明が書かれたパンフレットを渡され、簡単な説明を受けただけで、あとは電話してオペレーターと話してくれと言われるのみで、何のために2時間近く待ったのか、意味が分からなかった。

その頃、スイスの人々の列では、ついにスーツ姿の責任者が現れ、彼が現れるや否や、あっという間に多くの人々が、うなりを上げて掴みかかるように彼を取り囲み、その姿は怒号ともみくちゃの中にすぐに見えなくなった。今まで電話しかしてなかったスタッフの人は、ほほ笑みながら席を離れ、同僚に、「もう警察を呼ぼうよ」と言って、さらに笑った。

交番

夜、同僚と食事をする。よく話す面子なので気さくなものだった。

数日前に、将棋の羽生名人が、コンピュータ将棋の棋戦である電王戦への出場権をかけた叡王戦に出場するというニュースが流れていた。叡王戦で優勝しないと、コンピュータとの対戦はないので、まだ羽生が対戦するかどうかはわからないが、期待が高まっているようだ。普段、自分はほとんどのものに関心がないが、これに関しては、勝敗を見てみたいと思った。

札の数えかた

Clerkenwell Design Weekという催しをClerkenwell地区でやっており、仕事のあとに行った。9月に行われる100% Designとか、Design Junctionとかのイベントの小さいものという感じで、家具を中心に多くのプロダクトが展示されていた。展示場所が、教会だったり、クラブだったり、昔の地下牢獄だったりして特徴があり、面白かったが、展示されているものはあまりオヤと思うものはなかった。

夜は人に会い、韓国料理屋で焼肉などを食べた。人の紹介で初めて会う方々だったが、同業ということもありもろもろ楽しく時間を過ごすことができた。

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他界

先週に引き続き、家の片付けをした。今日はいくつかの家具を近くの区が運営しているリサイクルセンターに持って行った。すでに何週間かこの作業をやっており、今日は普段使っているダイニングテーブルと椅子二脚も持って行ったので、ぱっと目につく大物はだいたい、なくなったが、まだ捨てなければならない小物が多くある。

昼過ぎに、ひと段落ついたがまだ時間が余っていたので、思いつきでチェルシー薬草園(Chelsea Physic garden)に行った。天気が良かったので、何か庭園のようなところは気持ちが良いかもしれないと思ったからだが、着いた時には空はやや曇っていた。

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ここには初めて来たが、都心部にあることもあり、思ったよりずっと小さい植物園で、さっと見て回れる、ほどよい大きさだった。庭園内は人がまばらに見えたが、カフェ・レストランのところだけ満員状態となっており、確かに草花に囲まれて食事を摂っているのは楽しそうではあった。この薬草園はすべて壁に四方を囲まれた、外からは見えない隔離された空間なので、そこに寄り集まって、外界を忘れたように談笑している人々のいる景色は物語的で、面白い。

レンガと鉄、木枠の小さい温室が建ち並んでいるエリアがあり、そこの雰囲気は好きだった。歴史ある植物園なので、相当前から建っているのだろうが、朽ち果てそうなボロボロの枠組みに、やや透明度の落ちた薄そうなガラスがはまっており、その半透明の向こう側にまた別な温室の窓のレイヤーが重なっていく感じがきれいだと思った。緑は青々としていたので、躯体の枯れた風体がより際立って見えたのも、よかった気がした。

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不帰

同じ家の1階に住んでいる夫妻とお茶をした。彼らが2年ほど前に越してきた時から、顔は知っており、たまに会えば、少しの挨拶や世間話をする程度の仲であったが、いつも会うたびに、今度コーヒーでも飲みましょうという話になっていて、特にそれが実現しないまま時が過ぎてしまっていた。先週、またたまたま会って話をしていた時に、ついに次の土曜日に近くのパブで、という話が決まり、今日を迎えた。夫妻は昨年、日本にも旅行に行っていたのは知っていたので、その時の話を聞かせてもらったり、また、日本の会社とも取引のある仕事をしているようだったので、働き方についての話などをし、楽しく時間を過ごした。

彼岸

Barbican centreにMax Richterというピアニストのコンサートに行った。ポスト・クラシカルと呼ばれるカテゴリーの音楽で、クラシック的な楽器編成や和声をベースに、エレクトロニクス処理を施した音を追加したり、ダンスミュージック、ポストロック的な執拗な反復を取り入れたりするタイプの音楽のパイオニアの一人でもある。GoldmundやÓlafur Arnalds, Nils Frahmなども同じカテゴリーに分類される。

勤務後に行ったので、開演にはとても間に合わず、前半の演奏は全て聞き逃したが、休憩を挟んで、メインとなる後半の「SLEEP」という楽曲は聞くことができた。編成はピアノ、バイオリン2台、チェロ2台、ソプラノの歌手で、このSLEEPという楽曲はほとんど構成の起伏がないままに、かなりゆっくりした同じメロディーが出たり入ったり1時間半に渡って途切れることなくひたすら反復されて続くという、ミニマルの典型例のような曲だった。

あまりに過剰に繰り返されるので、ある地点から、脳がもうメロディーを追うことを諦めはじめ、音楽を認識できなくなり、ただきれいな響きのようなものが、始めも終わりもないまま鳴り続けているといった錯覚を起こしてくる。

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この手の音楽はやはり好きで、思考が止まって惚けたような感じになってくる。だいたい途中で眠ってしまうのだが、今回も途中で眠ってしまった。SLEEPという曲名を聞いた時から、たぶん寝るだろうとは思っていた。ただ、起きても同じようなメロディーが繰り返されていたので、連続性は失われておらず、問題はなかった。

鬼籍

先日の土曜夜、max cooperというエレクトロニカ・テクノミュージシャンのライブに行った。ShapesというHackneyにある倉庫のようなクラブにて行われたもので、surround soundと銘打たれていたように、スピーカーが前方のみでなく、サイドと後方にも複数置かれており、音が全方位から回るようになっていた。元々アンビエント的な要素が多く入った空間的な音楽なので、その装置との相性はとてもよく、フワフワした音像で非常に良い響きを出していた。

GONE HOME

少し前に、GONE HOMEというゲームをプレイした。このゲームもいわゆるウォーキングシミュレータで、パズルや戦闘といったゲーム的要素は一切、無く、ただ空間の中を探索しながら、少しづつ紐解かれていくストーリーを楽しんでいくという、映画に近いもの。

ここから先はストーリーの根幹について書いてあるので、このゲームをこれからやってみようという人がもし仮に居れば、ここで読むのを止めたほうが良が、多分9割9分いないと思うので続けて書く。

舞台は1995年、アメリカ・オレゴン州で、1年間のヨーロッパ放浪から帰国したケイティという主人公が、家に帰ったところ、なぜか家は真っ暗で静まりかえっており、自分を迎え入れてくれるはずの父、母、妹のサムの姿がなかったというところから話が始まる。広い屋敷の中を歩き回りながら、何が起こったのかを調べていく。
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かなり最後のほうにならないと分からないのだが、父と母については、単に旅行に行っていて不在にしているだけという恐ろしく拍子抜けする設定になっている。物語のメインは妹のサムにまつわるもろもろで、屋敷の中をもろもろ探索していくと、サムの学校での成績について書かれたメモや、好きなバンドの出ている雑誌、落書き、デリバリーピザの空箱、昔のアルバム、旅行の思い出の切符の半券など、細かなアイテムがたくさん見つかる。

このゲームには、直接、ゲームのストーリーや進行に関係ないグッズが大量に散りばめられており、それらを細かく見ていくと、ゲーム中に人物キャラクターは一切出てこないにも関わらず、徐々にこの家族の溝がリアリティをおびて浮かび上がってくるようになっている。

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例えば玄関の本棚には、いくつかのトロフィーや賞状が置いてあるが、それらは全てケイティのもので、サムのものはない。優等生だった姉のケイティに対して、妹のサムはどうやらあまり成績が良くなかったようで、劣等感を抱えていたような状況が読み取れる。サムの部屋も、見てみると、勉強机には親から買い与えられたとおぼしき文学全集が手付かずで鎮座しており、その周りにはパンクバンド雑誌や、テレビゲーム機などが乱雑に置かれており、わかりやすい思春期の反抗が現れている。

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家の中には、いくつかのカセットテープが落ちており、マジックで殴り書いた手書きの曲目リストには、過激な曲名が並んでいる。それを再生すると、ガレージで録音されたような、荒い音質の、女性ボーカルのパンクバンドの曲が流れる。

サムのメモや、随所に残された交換日記の断片などを拾い集めていくと、サムが学校で軽いいじめに遭い、のけ者にされていたこと、そこでロニーというちょっとパンクな少女が声をかけてくれたこと、のけ者の二人はしだいに惹かれあっていったこと、二人で写真を取り合ったこと、ロニーがはじめたバンドを見に行ったこと、サムが書いていた小説を見せて褒めてもらったこと、などが徐々に分かってくる。

ロニーは進学の予定はなく、自らの意思で、女性にもかかわらず軍隊に志願しており、街を出る日が決まると、残された時間の中で、サムとロニーという二人の少女はさらに親密になり、やがてそれが単なる友人関係でなく、愛だったと気付く。二人はそれをお互いに分かりつつも、それぞれの進路のためにお互いを送り出そうとする。

物語の終盤で、家の納戸のような所に隠された屋根裏部屋への鍵を発見する。屋根裏部屋はサムが自分の秘密の部屋として使用していた部屋で、そこに入ると、サムがケイティに当てた手紙を発見する。そこには、ロニーが入隊するためのバスに乗ったが、途中でバスを降りてしまったこと、感情を抑えきれずにサムに電話をくれたこと、そしてサムがそれに応えるように、家を出てロニーと暮らすことを決意したことが書かれている。

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つまりサムとロニーは駈け落ちをしてしまい、その結果、この家に誰も居なかったということがわかってエンディングとなる。旅行に行っている両親についても、母親の方が不倫しているっぽい手紙があったり、作家である父親の浮き沈みがわかる編集者とのやりとりなど、もろもろ細かい設定があるのだが、それらもサイドストーリー的に楽しめる。

メインテーマは、このようにライオットガール的な10代の少女の青春が軸になっているのだが、そのストーリーもさることながら、とにかく家の中のあらゆるアイテムの作り込みが緻密で、歯磨き粉や洗剤のパッケージとか、家の中のポスターや、冷蔵庫の中身、雑な納戸の造作など、90年代のアメリカの家庭の雰囲気がリアリティを持って体験できて非常に興味深い作品だった。

ストーリーそのものはこうして文字に起こすと、さして珍しくもないような気もするが、その語り口、このようにゲームに仕立てて、家の中に置かれたものだけで巧妙に物語化できているのは素晴らしいものがあった。同じストーリーが与えられても、映画という語り方だったらこの印象は出せなかっただろうと思う。自分で探索するゲームで、自分で断片を繋いでいくタイプの体験だからこその感情移入があって面白かった。

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こういう非常に青い雰囲気のただよう、少女的な痛さの滲むイラストレーションも的確。

日曜

少し散歩をした。この時期はは夏のように暑い日もあれば、肌寒い日もあり、気温が乱高下している。今日は日差しは強かったが、若干涼しいくらいのちょうど良い陽気だった。家から少し離れた森のあたりまで歩いていって、特に何もせずそのまま帰った。ここのあたりは、公園でなく、森が残されている。_DSC5037 _DSC5039

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