月別アーカイブ: 2015年7月

意味

確かずっと家にいた。作業をしていた。

外の天気があまり良くなかったような記憶があるが、そうだったかそうでなかったか定かでない。いずれにしても天気に関係なく、家に居たであろう気がした。

意味

Hyde parkにSerpentine gallery pavilionを見に行った。今年はSelgascanoの設計によるもので、ナマコのような外形のトンネルを組み合わせたような建物で、農業用のビニールハウスのように、パイプとカラフルに反射する変わったビニール素材を使って作られていた。少なくとも自分が実際に見ることのできた、前年までのここ3年のパビリオンはすべて何らかの形で高低差があり、この狭い敷地にいつもと違う視点を与えていたと思ったが、今回のパビリオンは完全に平坦で、やや退屈な気がした。ただこのチープな質感はとても好きだった。虹色に歪む空間にひっきりなしに人間が吸い込まれていった。
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終わり

日曜。作業などしていた。昨夜は帰宅時に道路工事で幹線道路が閉鎖されていた上に、迂回路の表示がやたら分かりづらく、迷いに迷って半ば詰みかけながら深夜にやっと家に到着したにもかかわらず、朝はいつもの時間に起きた。夕方に少しだけ不意に眠りに落ちた。

終わり

人に誘われTRUCKという音楽イベントに行った。オックスフォード付近の小規模なローカルフェスティバルという趣で、家族連れなども多く、非常にゆるゆるした雰囲気のイベントで良かった。気分をもっと殺伐とさせたいと思っているのだが、一方でこのようなイベントの弛緩したような雰囲気が心地よくもある。

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終わり

現在、自分がよく接する人々は、スポーツ、車などの乗り物、食べ物に関心のある人が多い気がする。自分はそのどれにも強い関心がない。関心があることもあるのだが、関心がないことのほうが気になる。

最近は感覚が遅れてやってくることも少しだけ気になっている。音楽を聴きに行ったり、美術館などに出かけたり、本を読んだりなどしているが、だいたいの場合は、それらを見たその時は何も感じていない。何も、思わない。あとになって、例えばこの日記を書いている時に、それを思い出し、多分あの時このように感じていたのだろうという推測で文章にすることはできるが、ライブ感はない。とはいえ、何も気持ちが動かなかったとしても、それらを止めようとも思わない。見て、何も思えなかったな、と思い、一応、記録にとどめるために仮に文章化する。最低限、忘れないようにすることだけが義務であるようにも思う。忘れていなければ、いつか感覚が大きく遅れてやってきた時に、受容できるだろう。いつまで待つ必要があるのかは、知らない。

終わり

日曜。作業などして過ごす。鯖缶と適当な葉菜類を混ぜだだけのサラダ的な食べ物が安価で便利かつ味がよく、常食しすぎている。鯖缶は日本だと水煮のものが主流だったような記憶があるが、こちらだと水煮は無く、オリーブオイル漬けが通常の商品となる。

終わり

夕方前に少し散歩をした。1時間少々だったが、日差しが強かったので割と消耗した。なぜかマクドナルドが目に入り、おそらく1年以上いっていなかった気がするが、久しぶりにマックシェイクなど飲んだ。お金を出せば飲み物や食べ物を買うことができる。人間性は問われない。どんなに見知らぬ出先でも、問われることはない。

あとは作業など、していた。

終わり

日曜。作業などしていた。今朝は少し走りに出ようと思ったが、思っただけで終わった。外はずいぶんと暑くなり、この部屋も窓を開けないと空気が重く感じるようになった。この部屋で体験する夏も、秋も、冬も今回限りとなるので、どんどん色々なものが終わっていく感じがする。始まっているものもあるのだろうが、目に入らない。多くのものが終わっていくように感じる。それに対して、悲しいとかどうとかいう感じもない。

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