月別アーカイブ: 2014年10月

びっくりカレー

月曜ー金曜は、帰宅、作業、就寝という定型のパターンを繰り返した。カラスヤサトシ(というギャグ漫画家。というかドキュメンタリーやルポ系の漫画が多い。主に4コマ漫画のフィールドで活動)の漫画をもろもろkindleで購入し、読んでいる。カラスヤサトシの少年時代の話で、「新しいもの」を見るといつも悲しくなった、という話がある。新しいランドセルを貰ったとき、それが何故かとても悲しくなってしまい、踏んづけてボロボロにしているところを母親に見つかってビンタされるという内容だが、4コマ目で、作者は、当時は「嬉しい」と「悲しい」の感情の区別がついていなかったのかもしれない、と書いている。

ラーメン山頭火

今日からサマータイムが終わり時間が一時間ズレる。最近ロンドンにラーメンの一風堂がオープンした。一風堂はかつて高田馬場に住んでいた頃、数回、行ったが、その頃セブンイレブンで「名店シリーズ」みたいなカップラーメンを展開しており、そのラインナップに一風堂も含まれていたので、そちらのほうがむしろ多く食べたのではないだろうかという気もする。確か、他に「すみれ」「ラーメン山頭火」などのラインナップがあったが、どれも美味しかったと記憶している。

記憶が意味のない連鎖を起こし、かつて中学校の書道の授業で、好きな俳句をひとつ選び書に書くという授業で種田山頭火を選んだことを思い出した。「咳をしても一人」という句で、自由律俳句なので五七五を完全に無視しており、書く字数が少なくて済むというのも選んだ理由のひとつだったのかも知れないが、事実この句は好きだった。

しかし今日改めてネットで調べたところ、その句は種田山頭火でなく尾崎放哉の作品だったことが分かった。完全に種田山頭火のものだと思い込んでいたが、違った。特にくわしいわけでないので、自由律俳句=山頭火という図式で覚えてしまっていた。

そのまま、何となく、青空文庫にあった山頭火の「行乞記」を少し読んだ。自分が他に記憶している山頭火作品「こころつかれて 山が 海が 美しすぎる」という句が載っている本…。この句をいつどこで最初に目にしたのかもはや思い出せないが、だいたい良い景色に出会うと、半ば自動的にこの句が思い出されるようになってしまっている。そのせいでいつの間にか原因と結果が逆転し、景色が美しいと感じると、今、疲れているのかなと感じるようにもなって厄介なことになっている。

読書、食事、作業などで一日が終了し、今日は家から出なかった。

背中

土曜。大英図書館(British library)に行った。初めて行ったので利用者カードの発行等の手続きが必要だったが、事前にオンラインで登録していったので、受付での登録作業はすぐ終わった。この図書館は日本の国会図書館と同じように、法律で定められた納本制度によって、英国で発行された図書の全てが保存されている。また国会図書館と同じように、書架に自由に出入りは出来ず、あらかじめ見たい本を予約して、司書の方々に持ってきてもらってから閲覧する仕組みになっている。見たい本があったのだが、別館にあるらしく利用の48時間以上前に予約しなければならなかったようで、今日はあきらめて、他の本等を見ていた。

from Wikipedia

夜は本を読んだりテレビを見たり等していた。南アフリカで、アパルトヘイト撤廃後に発生した白人の超貧困層についてのドキュメント番組を観た。

顔の皮

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昨日に引き続き市内に居た。移動中にビルの前面部分だけを残して解体されている建物があった。景観保持のために、道路に面する面のデザインは変えられないので、このように無理矢理、前面だけを残すのだろう。

キャベツ

今日は市内での勤務だった。業務後、同僚氏たちと最近ロンドンに出店した牛角で夕食をとり、その後パブ等に寄り、水上ボートを使って帰宅した。焼肉を久しぶりに食べたので、おいしかったが、キャベツにごま油と何か唐辛子的なものをかけた前菜が妙に美味しかった事が特に記憶に残った。自分でも簡単に作れそうだったので近いうちに制作しようかと思う。夜は作業等した。

月曜

帰宅。先日の泥味の野菜煮の煮汁にパスタ、サラミ等を投入して煮詰めたところ何となく美味しいものになった。別に泥味でもまずい訳ではなかったが、サラミの味の成分によりまともな雰囲気の味に変わった。

Richard Tuttle

髪を切るために外出、その後、Brick Laneにあった適当なインドカレー屋に入った。何か素早く食事を済ませたかったので、テイクアウト系の店で店内でも食べれるような感じのところに入った。ガラスケースの中に並んでいたカレーを選んで、お金を払うと、ご飯とルーが皿にさっと盛りつけられ、それらは目の前で電子レンジに投入し加熱された。店内も、まるで倉庫のようだったが、むしろ簡素さは好ましくもあり、落ち着いた。味もとても美味しかった。(そもそもこの手のインドカレー屋は、どんな外観だろうが外れは殆ど無いのは知っていた)

その後Whitechapel GalleryでRichard Tuttleというアメリカのミニマリズムの作家の展示を見た。糸くずや針金、布の切れっ端など、日常的な、凄まじくどうでも良い物を素材として、簡素なコンポジションのレリーフ、彫刻群を作っていた。強い主張をもつ要素が一切ない雰囲気が、同じく紙くず、針金などで構成された北園克衛のプラスティック・ポエムに似ていた。北園克衛の時代では「プラスティック」という外来語は「造形」という意味で使われていたようだが、現代にあっては大量生産品のイメージが強い。自分も最初にそれを聞いたとき、人工的な詩、という意味なのだと思い、全然、芸術らしい生命力がないのにやけに美しいその作品群にぴったりなネーミングで、すごいなーと思った記憶がある。ポエジーというのはおおよそ孤独への共感のことだと解釈しているけれども、死んだように主張がなくて、人工的で、意味ない日用品からすら孤独を掘り起こそうとするミニマリストたちは病的で本当にきれいに見える。

Richard Tuttleの作品 from Web

Richard Tuttleの作品 from Web

北園克衛のPlastic Poem from Web

滋味

近所で買い物等を済ませた後、最近同僚のイタリア人氏に聞いたピザのおいしい店というのが近所にあることが判明したので自転車で行ってみた。安価な値段で、確かにおいしく、また来るだろうと思った。チェーン店でロンドンに何軒も店があるようだが、ロンドンで一番おいしいピザと言う定評があるらしかった。大きな石釜でピザをゴリゴリ焼いていたので、店内が汗ばむほど暑かった。

夜、スーパーでカット野菜詰め合わせ袋みたいなものを買ってきてあったので、それらをまた保温鍋を用いて長時間煮込んで、明日以降の食事を作った。芽キャベツを大量投入した結果、何か泥のような風味がつきすぎた。いつだったかWinchesterに意味なく行ったとき、大聖堂の脇の食堂みたいなところで、何か根菜類をドロドロに煮込んだクリームスープみたいなものを食べたが、明らかに泥の味がしたにもかかわらず、それがむしろ美味しいと感じられたことがあった。何故、泥のようなのに美味しく感じられたのか…

将棋

月曜ー金曜にかけては特筆すべきことは無かった。帰宅し、食事をして、その後、作業、読書、勉強のいずれかをして過ごした。ほとんど毎日、雨が降っている気がする。

Cuneiform

Whitechapel galleryにKader Attiaという作家の作品を観に行った。写真が撮れなかったのだが、合わせ鏡と本棚を使った作品で、図書館が無限に続いていくような空間を作っていた。見た瞬間におやと思ったのだが、おそらく同じ作者の、殆ど同じ作品をどこかで一度見ている気がした。記憶では場所すら同じWhitechapel galleryだったような気もするが、定かではない。

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ギャラリー内の本屋で、「Digital Cuneiform」(デジタルのくさび形文字 著:John Bergerhausen)という本を見た。くさび形文字をデジタルフォント化する試みについてまとめた本で、今まで完全にはデジタル化されていなかった全1063種のくさび形文字を網羅することで、世界中に散らばるおよそ50万個の粘度版に刻まれた文章を、電子的に交換、保存、アーカイブ化できるようになるという。全世界の文字を網羅しようとしている文字コード規格のUnicodeでは、既にくさび形文字ひとつひとつに識別番号が与えられていたが、それに対応した共通のデジタルフォントがまだなく、表示させる手段が今まで無かったらしい。各国の研究者や研究機関のデータの収集や交換がこれによってスムースになり、解読も進むようになるようだ。。

from Slanded website

今日は久しぶりに外に出た気がした。今日は食べ物をあまり摂っていなかったので、スーパーに寄ったが、何を食べて良いのか分からなくなり店内で右往左往して、最終的にカレー等を買って帰宅した。以前に人からもらった抹茶があったので、大量にゴブゴブと飲んでいたら手が、少しカタカタと震え始めた。抹茶に含まれるカフェインの作用か、それともたまたまで因果関係はないのか、知らないが、食べたものがすぐ体に作用するのは不思議なものだと、思った。

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