終わり

現在、自分がよく接する人々は、スポーツ、車などの乗り物、食べ物に関心のある人が多い気がする。自分はそのどれにも強い関心がない。関心があることもあるのだが、関心がないことのほうが気になる。

最近は感覚が遅れてやってくることも少しだけ気になっている。音楽を聴きに行ったり、美術館などに出かけたり、本を読んだりなどしているが、だいたいの場合は、それらを見たその時は何も感じていない。何も、思わない。あとになって、例えばこの日記を書いている時に、それを思い出し、多分あの時このように感じていたのだろうという推測で文章にすることはできるが、ライブ感はない。とはいえ、何も気持ちが動かなかったとしても、それらを止めようとも思わない。見て、何も思えなかったな、と思い、一応、記録にとどめるために仮に文章化する。最低限、忘れないようにすることだけが義務であるようにも思う。忘れていなければ、いつか感覚が大きく遅れてやってきた時に、受容できるだろう。いつまで待つ必要があるのかは、知らない。

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