Serpentine gallery pavilion

Hyde parkにSerpentine galley pavilionを観に行った。今年のものはチリ人建築家のSmiljan Radićの設計によるもので、巨大で歪んだドーナツ状をしていた。メイン構造体のドーナツの下にゴロゴロと巨石が置かれていて、それによって、無目的な隙間ができていて、人々がそこで休んでいた。ドーナツ内は、トンネル形状をしているためか、どうも通路っぽく、そのせいか何となく橋にも似ていて、本来、2点をつなぐ橋が、たまたま入口と出口が同じだったためにドーナツ状に丸くつながったように思えた。トーラス形状は全体的にひっかかりどころのない形なので、しっくり腰を落ち着けられる居場所を見つけることが難しく、あまり建物には向いていない形のような気も、した。

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ギャラリー本館では、Marina Abramovićという人の手によるパフォーマンスアートの展示をやっていた。観客は全員、消音ヘッドフォンをつけ、無音状態で部屋に入るのだが、部屋に入ると、人々が壁に向かってやたらとゆっくり歩いていたり、十字型の台の上にただただ直立不動で立ち尽くしたりしていた。基本、意味が良くわからないのだが、観客たち全員の困惑が独特の緊張感を作っており、幾人も人と、互いに目配せしながら、これの意味がわかりませんという無言の微笑を交わし合った。

また、学校のようなサイズの机とイスが並べられた部屋では、参加者の人々がひたすら米と麦をひとつぶ一粒、選り分ける作業を黙々とやっていて謎だったが、よく見ると、半数以上の人が選別作業に飽きて、米を図形状に並べて絵を作ったり、文字を書いていたり、数を数えるために与えられていた鉛筆で、米と一切関係ない図形をデッサンしたりし始めていた。米、麦、鉛筆、紙という限られたアイテムで誰が一番エキセントリックなことが出来るかという戦いに変化している気がした。

from Serpentine gallery website

更にSerpentine gallery別館のSackler galleryのほうのEd Atkinsという人の展示も観たのだが、これも謎だったために割愛する。言葉が作品の重要な部分を担っていたようなので、これは仕方がなかった。

その後、ピカデリーサーカスのあたりを少々ふらふらして、帰宅した。

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