中目黒

来週に弟の住む東北へ両親と行くことになっているので、防寒性能の高い上着を探しにどこかに出かけようと思った。ネットで見て目星をつけ、中目黒にある店に行ったが、これといったものはなく、ラーメン屋に寄って帰った。ラーメン屋は「食べログ」で見た三ツ矢堂製麺という店…ゆず風味のつけ麺でつけ汁はおいしいと思ったけれども、自分にとっては麺がぼそぼそしているように感じられた。

食べログといえば、PLANETSという雑誌に載っていた、川口いしやという人の、『「食べログ」の研究 —レビューサイトがもたらした「食文化」と「都市」の風景—』という記事が面白かった。このPLANETという本の今回のテーマの一つには、「東京において、地理と文化が結びついていた時代は終わった、では次の時代の東京の文化はどう育ちうるのか…」というものがあって、この食べログの記事もそのテーマを食文化側から考察している。

かつて東京では、寿司なら銀座、焼き肉なら新大久保、というように街と食ジャンルが強くリンクしていた時代があった。この時代、食文化とは土地を楽しむものだった。(一部のジャンルは未だこの関係は残っていると思うけれど…。)

雑誌文化が花開いた8,90年代には、女性同士ならこの店、デートならこの店、というように、用途やライフスタイルによってレストランが紹介されるようになった。とはいえ、この頃は、雑誌○○を読む○○な人は代官山に集まり、雑誌■■を読む■■な人は六本木に集まり、と、雑誌が描いていたライフスタイルはまだ街に結びついていて、街が、同じ経済力や同じ嗜好の人を集める求心力を持っていたから、まだ食文化は街とは切り離せないものだったと思う。この頃の食文化とはステータスやライフスタイルを表すものだった。

この記事は、その後の、ネットコミュニティ発達以後の東京、「食べログ」以後の東京の食文化について、食べログのレビュアー会員へのインタビューを通じて追っている。著者は、人が、「食についてどのように語れるのか」を調べることで、いまの食文化がどうなっているのかを探っている。

歴史的な地理性や、前置きの情報など全く関係なく、食べログはピンポイントでレストランと人をつなぐ。今まで無かった、食を、地理やライフスタイルから切り離して語れる場所が発生した。つまり、雑誌文化では、話題性のある、記号性の強いレストランしか語ることができなかったが、食べログ文化は、話題性もないしおしゃれでもなく立地的なステータス感もない、けれども優良なレストランだったり、味も平凡でこれといった特徴もないが、日常的に「使いやすい」レストランなどを語ることを可能にした。また、既知の有名店についても、余計なステータス感を付加する雑誌的な広告文章でなく、一般人の視点での素直な感想で語ることを可能にした。

また、その語り口も、古参のユーザーこそ、「美味しんぼ」の山岡士郎的な、朗々と食の意味を語り、説いていくようなスタイルだったものが、徐々に、新規ユーザーを中心に、「孤独のグルメ」の井之頭五郎的な、食べているその瞬間を写真とともに、短文で「実況」するというスタイルに移っていっているという。食べログでなくとも、twitterなどで、食べ物の写真に実況のひと言を添えてアップする人は本当に多い。

いずれにしても、食についての語り、つまり食を通じてのコミュニケーションする機会が飛躍的に増え、またその語り方もより自由になったことは確かなようで、この記事に明確な結論めいたものは書かれていないが、いまの食文化とはコミュニケーションの手段のメインストリームのひとつとも言えそうな気がする。

自分は正直なところ、食に強い関心がなかったので、食べログも完全になんとなく見ているだけだったが、この食べログ研究記事は、今までの東京の食文化や、街とライフスタイルの関係、コミュニケーションの変化など、興味深く掘り下げて書いていると思った。

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