会議の生産性なんてどうでもいい

目黒駅のそばにある「藤しろ」というラーメン屋に寄って帰宅。3日連続でラーメンを食べたことになる。この店は最初に訪れたときに、感動するほど、おいしく感じられたので、何度か来ているのだが、今日は味が薄く感じられた。昨日のラーメン屋でも味が薄く感じられたので、これはおそらく自分の舌のほうがおかしくなっているのだと思った。これは良くない…。

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鈴木健「究極の会議」を読んだ。先日、内田樹が激賞しており、「複雑な社会を複雑なまま生きるにはどうしたらよいか」というテーマに惹かれて購入した、同著者による「なめらかな社会とその敵」を読み始めたのだが、十数ページ読んで、内容がとても濃そうな感じがしたので、「ここ2,3日の自分のコンディションを考えると読めなさそうだな」と思って、助走をつけるために、同じ著者のライトな感じの別な本を買ってみた。

本の内容は、「議事録ドリブン」と名付けられた、「会議はその場で議事録を作るためにある」という、全員で議事録をプロジェクタ等で投影しながら、議題やToDoや結論を可視化しつつ進めていくという会議手法を解説したもので、これは単純な手法ながらも勉強になった。意見を書き出していかないと、先の意見はどんどん忘れられていって、後からでた意見が、後から出たという理由だけで重要視されるような過ちは、良くある。

でもこの本の面白いところはそこではなく、最終章で、会議という共同作業の概念を拡張するところから始まって、ネット会議の今後から、文明の未来へと話がつながっていく飛躍があるところだった。たぶんこの人が本当に書きたいのはこのあたりで、それはおそらく「なめらかな社会とその敵」に書かれているのだろうと思うので、助走のために読んだという目的は達せられた気がする。会議手法の解説本でありながら、「ぶっちゃけ会議の生産性なんてどうでもいい」「生産性の向上は現代文明にとって、もはやどうでもいいことは何度言っても良い足りない」「しらふで『生産性が向上します』などと言っている人はいわば病人」などと連発し出す最後の展開は熱い展開だ。「過度な生産性の向上は、人間の日々の生活を息苦しくする」「『生産性の向上』は普通に楽しく暮らすという自然な生き方を犯罪者扱いする」このあたりの意見は、いままさに飽和しつつある問題なのに、個人ベースの解決法しかなく、まだ誰も社会システムとして解決できていない問題なので、この人はここに突っ込んでいって次の本を書いたのだろうと思う…。

後半になってやっとわかったが、この著者は以前、NTT出版の「Inter Communication」にも寄稿していたと思う。同じような話が載っていて、どこかで読んだなと思ったら、Inter Communicationの情報社会系の特集号だった。

最近、乾燥機の調子がどんどん悪くなっており、以前は1週間分の洗濯物をまとめて放り込んでもパワフルに乾燥してくれたのに、大した量ではない肌着や靴下だけの乾燥でも、重量に耐えきれずすぐピーピー鳴って止まるようになった。このピーピー音に、何故か自分でも笑える程にカチンときてしまう。意味ない怒りで無意味に疲れる。

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