月別アーカイブ: 2015年3月

いなくていい人

天気が悪く、寒すぎ、暗い日だった。この冬は特にどこにいくでもなく家で作業をしている週末が多くなったので、特に記すべき事もなく、ブログがゆっくりと死に近づいているのを感じていた。

最近は「作業」という手抜きワードが便利なため、多用しているが、そこには、書く価値を感じないこと、自分以外の他者が関わっているので、勝手に書いてはいけないこと、自分の外に出したくないこと、単に書くのが面倒に感じること、公にしても特に面白くないことなど(一日中、寝ていた。等)、複数の事項が含まれている。誰かと会ったりどこかに行ったりした際にも、他者のことは、勝手に書かれることに不快感を感じる人もいるだろうから、安全を取って書かないようにするようにした。同様の考えから、以前は他者についてイニシャル表記などしていたところも、もっと抽象化した、「同僚と」「知り合いと」などを使用し始めているが、さらに削って、「人と」という表現に一本化しようかとも考えている。人と行動した際でも一人で行動していたかのように書く事もある。また、自分は現在、就労しているが、仕事についても基本的には書かないようにしている。

それらの事項については、内容を秘密にしたいというよりは、自分の場合、まともに全て書き始めると、通常では有り得ない分量の長文に突入してしまう恐れ、あるいは休日の全時間を使いかねない長時間の執筆に入り、それでも終了できずに結果的にどんどん面倒になっていくという可能性もあったので、それを防いでいる意味も大きい。

そうすると殆ど日記の体をなさないようなレベルにまで人生の情報量が削減されるので、最近は、帰宅、作業、アレコレを食べたというそれだけをひたすらループさせるような澱んだブログと化している。(情報量を削ったのは自分自身だが、それしか書いていないと、人生が本当にそれのみで構成されているように感じてくることが判明し、面白いとも思っていた。)

低速でも、もう少しこのブログは継続したいという意向が一応、あるので、何か別なコンテンツをたまには載せようと思い、意味はないが久しぶりに絵を描いた。

ただ意味のあるものは一切、描きたくなかったので、Processingを使って、画像共有サービスのFlickrから誰かの投稿写真を自動で4枚、取得するプログラムを書き、その4枚の画像を見ながら自分が適当に模写して色をつけるという作業を行った。取得する画像は、プログラムを走らせたときにFlickrに上がっている写真のうち新しい物から4枚を機械的に取ってくるだけなので、完全に偶然にまかせている。

flickr20150315113324flickr20150315113324--

11時33分24秒。Flickrから取得した内容は、インド人男性の集合、何らかのミサの様子、ハイタッチする黒人バレーボール選手、風化した切り株となった。

flickr20150315101018flickr20150315101018--10時10分18秒。内容は、山肌と遠くに見える切妻屋根、PlayStation3のファイナルファンタジーXIIIパッケージを掴む赤子、China Airlineの航空機、自撮りのかわいこぶったアジア人女性二人となった。

作業中は、自分の意志でなく機械に作業をさせられているような感じになり、想定から外れておらず、悪くなかった。

アボガド

土曜。読書等、少しだけ活動をしたのち、あとは何もしなかった。とにかく気分を平坦にするよう努めていたので、どんどん気分が平坦になってきているのを感じたが、多分何か違うのだろうという感じがした。夕方直前にスーパーにだけ行った。何か、パック寿司のようなものが賞味期限切れ寸前で破格で売られていたので、ひとつ1.2ポンドくらいで3パックくらい買って食べたが、別にそれがどうということもなかった。

価値

木曜。昨晩、かなり久しぶりに低温肉を作成したものを食べるが、何らかが失敗しており正直に言って不味い何かに仕上がっていた。700g分ぐらい低温かけてあったが、200gくらいで食べるのを断念し、明日、適当に煮て別な物に変更をかける必要があると感じた。

知らない人

作業等した。ピザ屋に行ったのだっけ…?その後スーパーに寄ったのは、土曜のことか、日曜のことか?記憶がない。

ルールとして定められているけど、事実上、誰も守っていないようなルールがあり、それを守っている少数の人々と、その人々を批判する守っていない人々…。やってはいけない事をやっても、黙っていれば絶対にばれない状況であれば、黙殺する人と申告する人…。不満をすぐに口に出す人と自分が壊れる迄、黙っている人…。人に物を頼める人と、頼めない人…。問題児だが愛嬌のある人という認識がなされている人、その裏で実質的に均衡を保つために苦労を強いられている人、いかにも苦労している感の出ている人と、おそらく相当な努力と苦労を払っていながらもそれが全く見えない人… どうでもよい事項ばかりだが、それらの中にいつも微妙に含まれ続けている成分、だいたい構造的に問題になり得ないようなたぐいの細かい事項がいつまでも尾を引き続ける。

dubnobasswithmyheadman

from underworld website

from underworld website

金曜。同僚氏からチケットを譲ってもらいunderworldのライブを観に行った。underworldは今年で活動20周年を迎えたらしく、初期のアルバム「dubnobasswithmyheadman」のリマスター版が出たのを記念して、そのアルバムの収録曲を演奏するという回顧的なライブツアーをやっている。

ライブはアルバム収録曲を、最初から最後まで収録順にやるという構成になっており、それに加えて、他のアルバムからの代表曲「rez」「born slippy」なども演奏された。中でも有名曲「cowgirl」などは非常に良いものだった。曲中で何度もつぶやかれる言葉について、いままでI’m beautiful, I’m beautiful, I’m beautiful…と言っているのかと思っていたが、I’m invisibleと言っていることを知った。牛のような女の人が、私は美しい、美しい、美しい、と狂気的に反芻しているのかと思っていた。

from www.gigslutz.co.uk

from www.gigslutz.co.uk

背景の映像も非常に良く、映像というか、ただ黒地に白の曲名が壁面いっぱいに表示されているだけだったのだが、それが何故かただ力強く、きれいだった。タイプフェイスもclarendonのような少しアナログな雰囲気のものだったにも関わらず、無機質な質感があった。

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