SHIZUKU

英語の学習のためという名目で、ジブリ「耳をすませば(Whisper of the heart)」のDVDを購入したので見る。。

夜はバンドの練習に行く…。必須曲として渡されている曲については、なんとか、できるようになった。しかし、帰宅しながら、「耳をすませば」の半分の英語も聞き取れないような人間が、欧州で働き、他にやるべき学習をせずに、こんな事をやっていて良いのかという気分になる。メンバーの方々は非常に良い方々なので、そんな気分になることを申し訳なくも思うが、これはまずいという方向に気持ちがハマっていくのを感じる…。人生においてかつて何度もハマってきた感覚に似ている。あまり面識のない誰かに何かに誘われ、何となくそれに費やす時間が多くなってくると、自分は他にやるべきことがあったのでは?という気分になり、都合良く、スティーブ・ジョブスの言葉「他人の人生を生きてはならない…」などのフレーズが頭にこだまし始める…。普段、接点の無かった人と知り合えたという事自体に、あるいは普段、興味を持ってなかった事をやってみたという事自体に、俗にいうプライスレスな価値を見いだすことに何度も失敗し、社会的に終わっていった自分…。いつも何かが足りない気がしているので、日常における義務を限界まで減らそうとし、自分の時間を確保しようとする。その時間で不足分を補う活動にいそしめば良いが、単に睡眠で使い果たすことも多く、その罪悪感がまた不足感を産んでループする。これではいけないという気分が頭を覆う。

パラノとスキゾという概念が、かつて流行った時代があったことを、人から聞いて知っている。読んだことは無いが、浅田彰、ドゥルーズ・ガタリなどの哲学者たちの間で80年代ごろ流行った概念で、いろいろな解釈の仕方があるらしいが、パラノイアはよく言えば向上心が旺盛なタイプで、常に自分に満足することは無く、現状批判をし上を目指し続けるタイプ。スキゾフレニーは様々なことに興味を持ち、現状は現状で受け入れ、こうでなければならないという、ひとつの何かにこだわることはないタイプ。これを教えてくれた人は、現在、世で褒められているのはパラノ、何かものを作っている人のほとんどもパラノだが、パラノの最終到達点は戦争であり、パラノ的な考えで生きて行く限り、それは満足は悪だという考えと同義なので、幸せからは遠ざかり続ける、と言っていた。。

帰宅後、蕎麦を茹でた。茹で上がりの色が、妙に茶色いなと思いながら、食べた。硬質の水のせいか、蕎麦自体がそういうものなのかは、知らない。

関係ないが、耳すまで、「やな奴!やな奴!やな奴!」という月島雫の名台詞があるが、英語では「Stupid jack! Stupid jack! Stupid jack!」というらしかった。

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