Kelmscott Manor

W氏と話していてWilliam Morris系の施設を一気に行くという話になり、この土日をかけていくつかの施設を訪れた。

この日はオックスフォードよりもっと西に行った農村部にある、モリスの別荘ケルムスコット・マナーに行ってみた。モリスが家族と、家族ぐるみの友人の画家ロセッティと過ごしたところ。内部写真が取れなかったためにあまり写真が無いが、ところどころモリスデザインの壁紙や、家具があるものの、全体的には非常に簡素な、素朴きわまる家でとても良かった。

モリスのデザインは、テキスタイルや晩年の超装飾的なケルムスコット・プレスの書籍などから、わりとデコラティブで華やかなものというイメージがあったが、自身の住まいは想像よりずっと、モノがなかった。

たしかにモリスの考え方の根元にあるのは、ジョン・ラスキンなどの自然をとにかく崇拝するという考え方であると、学生の頃、習ったので、ものに縛られて時間に追われる暮らしでなく、ただ自然の中でゆっくりと暮らすことが美しいと心底思っていたのであろうことはよくわかった。モリスの好きだったというバイブリーという田舎町にも以前、行ったが、そこも似たような印象だった。

ただ、そのレベルにまで精神的に成熟するのは、普通の人には難しい。当時すでに世の中は大量生産と大量消費の近代化の最中だったので、その中ではこういう素朴な暮らしぶりは、凄まじく退屈に映っただろうし、受け入れられにくかっただろうと思う。退廃的とさえ思われたと思う。

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ただモリスはデザイン力が突出していたので、自然を写し取ったきれいな家具や壁紙を作って、まず人々の意識をなんとか変えようと思って、例のアーツ・アンド・クラフツ運動をはじめた。

結果的にその仕事は成功したが、モリスの家具は高額で、一部の金持ちしか買えなかった上に、ファッション的なトレンドと化し、皆、そのモノ自体を所有する欲にとらわれてしまい、ほぼ誰も、美しいカントリーサイドを愛する、というモリスが望んだ精神レベルに到達することはなかった。

モリスはモリスで、仕事が成功しすぎたあまり、死ぬ程、忙しくなって、自分の本当に好んだという生活スタイルからは遠ざかっていく。

それでもデザインと社会活動をやめずに最後まで、狂気をもって尋常でないクオリティの作品群を生み出し続けたことは凄まじい使命感だとは思う。

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このケルムスコット・マナーは、非常にいい感じの雰囲気で、何か癒される感じがあったが、なんとなく、モリス氏の疲労が全てここに堆積しているような気もした。

その後、周辺にあったいくつかのコッツウォルズの町を巡って、帰宅した。

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