俺のやぞ

hiphop

今日は天気の良い日だったが、特に外には出ずに本を読んでいた。

昨日、購入した、都築響一の「ヒップホップの詩人たち」を読んだ。月刊新潮での連載をまとめたものとの事で、主に地方に住み、今までのヒップホップシーンになかった独特の生々しい表現を行う日本語ラッパーたちへのインタビュー集…。都築響一は、かつても「夜露死苦現代詩」という本で、固定的な文学シーンが取りこぼしまくっている(らしい)新しい日本語表現として、ピンク情報のスパムメールや暴走族の特攻服などを拾い上げていて、それも面白かったが、今回の本も面白かった。

この本に登場する多くのラッパーたちは、何が新しいかと言えば、いわゆる定型化されたギャングスタ・ラップ(マッチョな黒人が貴金属類を大量に身につけて女性をはべらせてアメ車でズンドコする音楽)でもなく、J-ラップ(世の中のありとあらゆる事象を恋愛に結びつけてうやむやにする音楽)でもなく、日本の閉塞感あふれる非都市部の町から、生活の悩みと葛藤をラップしているという点が新しいという事で評価されている。

つまりドキュメントとしての音楽を現代に復活させた点が新しいのだと思う。だから、ILL(どれだけ病んでいるか)やREAL(どれだけ現実を描いているか)といった言葉がほめ言葉として使われる。彼らのフロウ(ラップの語り口調)は、リズムや韻といった音楽性よりも、ドキュメント感を盛り上げる演劇性に特化しているように聞こえる…。

108 bars – 小林勝行

詩情による言葉の音色とは、全く違う言葉の音色で良い…。70年代フォークにも三上寛などのドキュメント性の強い作家が居たが、メロディーが消えてビートが強くなっている分、より獰猛に聞こえる。

ただ、登場するラッパーに、ドロップアウトして犯罪に手を染め投獄経験ありというパターンのラッパーが多すぎるのは気になった。幸いにして投獄されていなくても、何らかの犯罪を犯している人がほとんどだ。それはILLさ(ドキュメント性)の追求の弊害だと思うが、あえて犯罪を犯して投獄されたという人物も載っていて、原因と結果が逆転している。これらは魅力的な音楽だと思うけれど、自分は深いところでは、少年期の悩みを不良行為に転化できた人のリアリティに共感しきることができない。頑張って我慢することを課してきたタイプの人間の業を表現してくれるような地味なヒップホップが、まだない。

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