蝉の声

先週末から今週末にかけて、8日間ほどニュージーランドに行く用事があった。片道の移動だけで26時間近くかかり、乗り換えの時間なども含めると30時間以上かかったので、長かった。南半球に行ったのは初めてだった。当たり前だが、季節は逆で、夏だった。

全く関係ないが、正月に実家に帰った際に、こんまり先生のスーパーベストセラー「人生がときめく片付けの魔法」が置いてあったので、読んだ。「ものを捨てるときは、ときめくかどうかで判断する」という謎すぎるフレーズは知っていたので、そのあまりに科学的でない響きに、方法論として、おそらく自分は全く対象外で、花畑的な感性を要求される難読書だと思っており、敬遠していたが、正直興味はあった。読んでみると、片付け指南書というか優れた自己啓発書となっており、面白かった。

こんまりメソッドでは基本的に、ものに別れを告げるタイミングを「耐用年数」でなく、「役目」で判断するという方法をとる。たとえば服について、昔のお気に入りで良く着ていたが、趣味や体型の変化で着なくなったものに対して、その時の自分をときめかせてくれたので、役目を終えた、と考え、たとえば店頭では気に入って買ったが、結局着なかったタンスの肥やしには、自分にはそれが似合わなかった事を分からせてくれたという役目を既に果たした、と考える。ものの寿命を、「役目」を与えることで一つ一つ、終わらせていく。

とにかく現在にへばり付いているものを、全て過去に置いてくることを目指している。先の「結局着なかった服」の例のように、いつか着て元を取ろうといった、過去の失敗を未来に精算させることを、こんまり氏は一切、許していない。

この、ものが役目を終え、過去に置かれるということは、人に、自分が変わっていっていることを自覚させる作用があるようだ。かつて気に入っていたものも、興味から外れ、絶対に必要だったはずのものも、いつのまにか無くて大丈夫になっている事がある。基本的に人は変化を嫌うが、ただ生活しているだけでも人は勝手に変化していってしまう。しかし物事を過去に置かない限り、対比が生まれず、現在の変化を実感することができない。多くの場合、ものごとは現在進行形の時ないしは未来に想定されている時、自分に何も語りかけない。過去に置かれた時のみ、今の自分にとってそれが何だったのかという、意味づけを与えることができる。

全体を通して、こんまり氏が言っている「魔法」というのは多分こういうことっぽいのだが、望む望まずに関わらず、人が変化していくことを自覚した人は、次の変化を恐れなくなる。どうせ変わってしまう事は仕方がないし、結果がどうあれ、それは必ず何らかの「役目」を果たすという認識に立った時、人は新しいことを始めることにあまり躊躇しなくなる。その作用を、人生がときめく魔法と称している。

それ自体はすでに既知の概念だろうとは思う。ただ、この本は、このようなマインドを作りだすために、片付けを機能的な儀式として用いられるような仕組みを解説しているように思え、「人は変われる」という、多くの自己啓発本のメインテーマに、「片付け」という観点から突っ込んでいったことが新鮮だったのではと思う。。。

それはどうあれ、読んでるそばから、ものを全て捨てまくりたいという衝動がなぜか知らないが確かに湧いてきたので、正月休みから戻ったら、片付け祭りを開催しようとその時、心に決めたが、イギリスに戻ってきても結局、何もしなかった。

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