激しく斜めにせり出した壁面と、大きく湾曲した天井面のコントラストが良い感じだった。
この階段も、ハイヒールのような形になっていてスマートだった。
窓や階段など、水平や垂直に連続する要素のリズムがとても美しかった。さきのユニテ・ダビタシオンにしても、これにしても、各要素のコンポジションそれ自体は平面的なのに、空間的な奥行きが感じられた。外観と内観が分離しておらず連続的に美しいのも良い。
館内は、受付の人がひとりいただけで、他には誰も利用者がおらずがらんとしていた。いくつかの部屋はコルビジェの計画案などの展示に使われており、流れているビデオの音声が、無人の廊下に痴呆のように無限に漏れていた。
併設のグラウンドには、チンピラっぽい人々がバイクで乗り入れていた。最初はバイクの練習でもしているのかと思ったが、ノーヘルでグラウンド内を暴走し地面を削って遊んでいた。
さきほどまで居たプールでの、競技会にいそしむ女子達、それを応援する見物席の親達の姿、跳ね返る水…。日曜の暇なグラウンドで原チャリと戯れる中高生くらいのDQN、砂に残る跡、他人の自分…。全員が、価値のない話の中にいるようにさらっとしていた。その寡黙さが空間に合っていた。ほとんど役割を失っても、美しさが失われないものだけが建築と呼ばれる。光景が、総合的にあまりに静かで錆びていた。
運動場にも下りてみた。かつて陸上部だった時代をどうしても思い出してしまう。思い出すという現象はそれ自体が悲しみを伴うので意味なくエネルギーを要する。良い思い出も悪い思い出も、一切関係がない。思い出すこと自体が感傷的な作用をもつ。
ひととおりコルビジェの建築群を見おわり、日曜で殆どの店の閉まった街中を歩きながら駅までもどった。次のSt.Etienne行きの列車まで1時間以上あったので、列車を諦めバスで移動する事にした。
ビエンナーレ中なのにびっくりするほど人がいないね。そのせいか、建築群が遠い古代からそこにあったかのように見えます。DQNの姿もなぜか抒情的に見えてきますね。
このFirminyという町には展示がひとつあるだけで、メインのSt.Etienneからも少し離れているしあまり関係ないからだと思う。あと日曜だったからというのもあったかもしれない。実際これらの建物のうちいくつかは時空を超えて保存されるでしょう。これ以外特に何もない町のようなので。