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Stone henge / Salisbury

ストーンヘンジに行く。昨年末に、ストーンヘンジのビジターセンターが新築されて新しくなったという情報を得ていたので、どちらかというとストーンヘンジそれ自体より、ビジターセンターを見る目的で行った。ストーンヘンジは、多くの人が言うように、思った程、大きくもないし美しくもないただの石で、世界三大がっかりと呼ばれているだけはあった。世界三大がっかりの3種類は、人によって内容が異なる。自分はストーンヘンジ、シンガポールのマーライオン、は少なくとも含まれると聞いたことがあるが、3つ目については、知らず、気にした事も無かった。
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ストーンヘンジのがっかり感は非常に有名で、「皆、どれだけがっかりさせてくれるかを確かめるためにそこへ行く」と言われている程だが、それでも世界各国から人が大量に集まっている。自分もそういう心構えでこれを観に行ったが、事前の偏見をかけられない状態でこれを見たら、違った印象を持てたり感動したりできたのだろうかとも、少し、思った。人でも、まれにそのような人がいる。何らかの理由でついたレッテルが永遠に消えず、何をやっても、内容の善し悪し問わず、その人の行動や言動はすべてろくでもないものだと決めつけられてしまう生涯ピエロの役回りを受け持つ…。

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その後、近くの町Salisburyに寄って、遅い昼食を摂った。

ソールズベリ大聖堂は非常に立派なもので、尖塔の高さはイギリスの聖堂で一番高いようだ。

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この彫刻(キリストの十二使徒を表現したものらしい)の不気味な造形が興味深かった。この背後にある青いステンドグラスは、「良心の囚われ人たちの窓」という名前の作品らしいのだが、最初、この彫刻のタイトルがそれなのかと勘違いしてしまった。ふむふむ、良心に囚われたような異形をしている、と納得していたが完全に勘違いだった。

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夕方頃、家に戻り、さらに夜に、W氏の情報によりLiverpool streetでやっていたReal food festivalという各国の食べ物屋台が集まっている催しに行って、何かハンバーガー形状をしたものを食べたのだが、どこの国の食べ物だったのか忘れてしまった。味はとてもおいしかった。

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Denny’s

サンフランシスコからロンドンへと戻った。約一週間程、滞在しており、土日も終日、業務をしていたので、割と疲労がたまっていた。

一日のなかでの寒暖の差がとにかく激しく、日中はある程度の暑さになるが、夜は冬のように寒かった。サンフランシスコに来たのはこれで二回目だが、ベッドタウンへと向かうモーターウェイなどは初めて見たので、片側5車線などがザラにある巨大な道路はやはりアメリカっぽさがあった。_DSC0095_DSC0097

多肉植物が道ばたに多く生息していた。

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ヒッピー風な老夫婦がヒッチハイクを試みていた。自分だったら、おそらく乗せる事はないと思うが、今までずっとどこかからこうして流れてきたのだと思う。近くの茂みの中に、青いテントが隠れており、これが彼らの宿のようだった。行き先のプレートを見てみたかったが、無理だった。

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何となくDenny’sで食事をしてみたくなり、寄った。ロゴマークが日本のものと違う。デニーズはカリフォルニアで創業されたものらしい。日本にはたくさんあったがイギリスにはない。なんとなく、ステーキを食べておこうと思ってTボーンステーキを頼んだ。夕方6時を回っていた時間だったのに、朝食ですか?夕食ですか?と聞かれたので混乱したが、ここではどの時間帯でも両方のメニューを頼めるっぽかった。詳細は知らないが…。

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月曜に人に連れられてサンフランシスコ市内で訪れたTadich grillという店は、アメリカで三番目に古く、カリフォルニアで一番古いレストランらしいが、おいしいシーフードレストランだった。クラシカルな趣を残しつつも簡素な空間で、落ち着いた。

from Tadich grill website

London

朝、エジンバラよりロンドンに列車で戻る。

_DSC9754いったん家に帰り、置いてあった荷物等を持ってロンドンのホテルに移動した。両親はここから宿泊はロンドン市内のホテルになる。

両親が土産物などを購入するため、オックスフォード・サーカスのリバティデパート等に行った。

夕食は父親の友人の知り合いが料理人をやっているというアジア料理屋で、欧風にアレンジされた刺身や茶碗蒸しなどを食べた。

Edinburgh 2

エジンバラ市内の観光をする。エジンバラ城や、旧市街などを散策した。寒かった。

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エジンバラ博物館なども見た。

昼食をとったThe grain storeというレストランと、夕食をとったCastle terraceというレストラン、どちらも非常においしかった。

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朝、家を出発し、King’s cross駅に向かい、そこからEdinburgh行きの列車に乗る。エジンバラ行きは、父親のかねてからの希望であり、主な目的は、エジンバラから更に北に車で1時間ほど行ったところにある、世界最古のゴルフコースSt.Andrewsを見ることにある。

エジンバラ駅に着き、ホテルに荷物を預け、レンタカーをピックアップ、すぐにセントアンドリュースに向かった。雨がかなり強く降っていた。
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セントアンドリュースは海のすぐ側にあり、強い暴風が吹く事で、屈指の難関ゴルフコースとして名が知られているようだ。我々が到着した時には、雨脚はまったく衰えておらず、すさまじい寒さだった。極寒の雨の中、笑顔でゴルフをプレーする人々の姿があった。ゴルフ愛好家達にとっては聖地とも言える場所のようなので、納得はできたが、狂っているとも思った。

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ゴルフミュージアムなどを見学し、エジンバラ市内に戻った。

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牡蠣やムール貝などを夕食に食べる。一応、スコットランドにきたのでパブにてウイスキーを少々、なめた…。

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ナローボート3

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予定地に着き、ナローボートを下船した。非常に良い時間だった。このようなボートはレンタルのものもあるようで、今回、操船も多少ながら覚えられたので、長い休みの時など、借りてみるのも面白いのかも知れないが、思うだけで終わるかもしれない。

_DSC9468その後、下船場所の近くの町、Stratford upon abonに行った。当初の予定に無かったが、シェイクスピアの生家があるというので寄ってみた。たいしたことは無かった。

さらにその後、コッツウォルズのベネチアと呼ばれているらしい(誰がそう読んでいるのか知らないが、そんな風に書かれているのを見た事がある)Burton on the waterという町にも寄る。

さらにその後、Oxfordに行ってオックスフォード大学などを見る。

いろいろ詰め込みすぎた感があるが、家に戻り、近くのフランス料理屋で夕食をとった。

ナローボート2

起床し、船内に差し込む朝の明るさのなかで朝食をいただく。

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運河は物資の運搬手段として、約200年前に人の手によって掘られたものらしい。ある貴族が財産の全てを投げ打って、多額の借金をしてこの運河を掘った。運河による輸送は大繁盛し、借金はすぐに返済されたらしい。やがて鉄道網が整備された事により、スピートで明らかに劣る運河での輸送の時代は完全に終わったが、今は主にレジャー用途として、運河は引き続き管理されている。

途中、20個弱の水門の開け閉めを手伝った。高低差をこの水門で調整し、ギリギリの幅の船が通る。_DSC9333 _DSC9347 _DSC9375 _DSC9408カモの親子や、牧場の羊、運河沿いのタンポポ群、地平線まで絨毯のように埋め尽くす黄色い菜の花など、多くの和むアイテム群が、人の歩く速度程度のゆっくりしたスピードでスクロールしていった。DIYで作った船の家、カントリーサイドの暮らし、自然の色彩など、自分のような典型的な疲れた都市生活者にとって強い引力があり、自分がここに住んでいるとしたらという空想を楽しんだ。明日の昼にはもう下船する。厳しさに辿り着く前に空想が終わるのでちょうどよいはずだと思う。

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朝、家を出てコッツウォルズ地方へ行った。自分が正月に回って、良かったと思ったLacockとBibryの村を案内した。

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その後、今回の旅の主要イベントのひとつであるナローボートに乗船するため、Wilmcoteという町まで移動した。この細長いボートに乗って2泊3日で運河をゆっくりと行く。日本人とイギリス人の夫妻が操船するボートで、内装は設備、電気工事に至るまで全て夫妻の手作りによるものだという。夫妻は陸の上に家を持たず、普段からこの船で生活しているとの事。

_DSC9178_DSC9329_DSC9142 _DSC9144 _DSC9159夜は船内に泊まった。狭い船だが、工夫された設計になっていて、我々3人は心地よいベッドで眠る事ができた。乗客がいる期間は、クルーになる夫妻はソファーで寝たようだ。

Lulworth cove

今日は月曜だが祝日のため休み。W氏を誘いLulworth coveというイギリス南西部の海岸線にある円形の入り江のようなものを見に行った。

昼頃に到着したが、天気がよかったためか、既に多くの人で賑わっていた。入り江はきれいな円形をしており、河口部分には不自然に地形が隆起したような斜めの断層ががっつりと露出していた。

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ボートで入り江の外まで連れてってくれるサービスがあり、それに乗ってみた。Durdle Doorという、崖の岩が門のようにえぐれたところまで行って10分程で帰ってきた。

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はしゃいで撮影しまくる人々

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その後今度は崖の上のフットパスを通ってその門のところまで歩いて行った。山登りが想像以上にきつく、息があがり足がガクガクした。多くの人々が列をなして山道を登っており何かの巡礼のようだった。

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海が鮮やかな青緑色になっており、リゾート地の色のようで清々しかった。おそらく岸壁の白いチョーク質が溶け出して、海の青と混ざって乳泊の青緑のように見えるのだと思う。

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こういう自然は、何かを考える事なく心に直でインパクトが来るので、心がカラになって良い。訪れていたたくさんの人々も、皆、どこかフワフワしたような感じで非日常を楽しんでいたように見えた。そんな中、入り江で一人、周りの観光客の雑踏を物ともせず、ガチで釣りをしている現地の人らしき老人が一人居た。家に辿り着いたあと、何故かその人の姿が思い出された。

Normandy – Longues sue Mer battery

_DSC8701 今日は写真を大量に貼る。朝7時前にフランスのOuistreham港に到着、空は暗く、雨が結構強く降っており、自転車での移動を考えていたので、あ、終わったなと思った。元々、目的地であるトーチカのある街Longues-sur-Merまではこの港から40km近く離れており、折り畳み自転車で頑張るには距離が長いので、タクシー等で移動を考えていたが、料金が100€以上かかると言われ、おとなしく雨の中、自転車で行く事にした。 _DSC8708 途中、明らかにトーチカだったと思われる建造物を取り込んだアパートを見つけた。トーチカ内部がどのように使われているか知らないが、異質な造形物が明らかに不自然に突き刺さっており、興味深かった。 _DSC8710 目的地まではおそらく4時間近くかかると思われた。雨も降っており、最初の10kmくらいで既にずぶ濡れで死にそうになっていたが、せっかく来たので、ひたすら自転車を漕いだ。 _DSC8713 道中、他のノルマンディー地方の名所にも寄った。JUNO beachという海岸では、迷彩服を着た男性が一人、金属探知機を使って浜辺で何かを探していた。何を探しているのかは知らないが、亡霊のようだった。 _DSC8717 JUNO beachのそばにも朽ちたトーチカがあった。トーチカはロシア語なので、こちらではBatteryと呼ぶようだ。コンクリートの巨大な重量と、浜辺の柔らかい地質のせいか、斜めに傾きながら、地面に沈んでいた。 _DSC8732 _DSC8733 _DSC8740 _DSC8745 既に体力的には限界を迎えていたが、まだ目的地まで半分以上の距離があった。 ひたすら先を進み、Arromanches-les-Bainsという地域に辿り着いた。ここには戦時中、仮設の港や橋が作られていたようで、その港の構造部材の一部だったと思われるものが海岸にまだ残されている。 _DSC8752 _DSC8753 _DSC8754 _DSC8758 _DSC8759 _DSC8760 _DSC8764 _DSC8765 ここは小さいエリアだったが、割と華やかに観光地化されていて、メリーゴーラウンドなども唐突に置いてあった。今日は天気が悪いので、重苦しく、いかにも戦争の遺物のオーラを堪能出来る雰囲気になっていたが、実際、もっと真夏に来れば、リゾート的なビーチのひとつなのではという気もした。 既にもう足も限界だったが、引き続き先を進んだ。2−3度の坂道ですら登れなくなっており、平坦な道以外は全て自転車を降りて歩いた。 _DSC8768 _DSC8769 _DSC8770 結局4時間以上かかり、目的地のLougues-sur-merのbatteryに到着した。途中でスニッカーズを2本消費しなければ、辿り着けなかったと思われる。船の待合所で買っておいて良かった。写真を連投する。 _DSC8906_DSC8774 _DSC8781_DSC8784_DSC8799 _DSC8787 _DSC8794 _DSC8798_DSC8803 _DSC8816 _DSC8818 _DSC8820 _DSC8825 _DSC8828 _DSC8831 _DSC8839_DSC8908 分厚過ぎるコンクリートの壁の質感、生っぽく大胆な造形、狭い銃眼から来る光と影の強過ぎるコントラスト等、作為のない原始的な空間が、怖さと安心感を同時に感じさせて、きれいだった。ポール・ヴィリリオのトーチカの写真集「Bunker Archeology」の中に、「美しさというものは恐怖の最初の段階にすぎない」というリルケの詩の一節が引用されていたが、確かにそんな感じがした。 何度も繰り返すが、体力的には既に死にそうだったが、トーチカが想像どおり素晴らしく、来て良かったと思った。 _DSC8847 _DSC8851 ここにはもう一つ大きめのトーチカがあり、こちらのほうがより海岸に近い位置に設置されている。 _DSC8858 _DSC8861 _DSC8867 _DSC8870 _DSC8871 _DSC8875 _DSC8877 _DSC8881 _DSC8884 _DSC8887 _DSC8897 _DSC8900 バスかなにかで近くの大きな街まで行こうとしたが、近くにあった観光案内所で聞いたところ、そういうバスはなく、また今日はバンクホリデーなので公共交通機関も本数が減っているという。近くの大きな街Bayeuxに行って、そこから電車でCaenという街に行く事を勧められ、時刻表等をもらった。この地方の列車は、なぜかGoogle mapで検索しても出てこず困っていたので、時刻表は非常に助かった。 観念して更に7kmくらいの道を自転車でBayeuxまで行った。幸いにしてこの頃は既に天気は晴れていた。Bayeuxの読み方が分からず、バイェゥクスみたいに呼んでいたら、ビヨンと読むと正された。これは読めないと思った。_DSC8912 _DSC8914 ビヨンに到着し、適当に街を観た。時間がなかったので殆ど素通りしただけだが、きれいな街だと思った。 _DSC8916 _DSC8917 _DSC8920 ビヨンの駅近くの適当な軽食屋でオムレツを食べる。味はフランスだからといって特段おいしいというものではなかったが、普通だった。フランスに来ていたのに、まともに食事をしたのはこれが最初で最後となった。 _DSC8926 _DSC8928 ビヨン駅から電車でCaenとへ向かった。デッキ部に携帯電話くんみたいなキャラクターのシールが貼ってあった。 _DSC8931 CaenではOMA設計の図書館が建築中との情報は調べていたので、一応、それを少しだけ見た。躯体はすでにできていたようだった。特徴的な十字形のプランがなんとなくわかった。 _DSC8939 _DSC8941 Caenからは、時間ももう無かったのでタクシーに自転車を積んでOuistrehamの港に戻り、帰りのフェリーに乗り込んだ。 _DSC8946_DSC8954_DSC8967 _DSC8968 _DSC8969 _DSC8970 夜の10時ごろ、Portsmouthに辿り着き、そこからロンドンへと戻った。フェリーの中で良く眠っていたので、不思議とそんなに疲れは残らなかった。