帰宅して冷凍してあったカレーを食べたのち、岡田斗司夫と内田樹の対談本「評価と贈与の経済学」を読んだ。かたそうなタイトルの本だが、表紙にイワシの写真が載っているのがちょっと気になって買った。タイトルの割に内容は分かりやすくなっていて、これからの共同体や経済活動のシステムとして「評価経済」「贈与経済」というものを提唱している。
現行の交換経済(物々交換を起源とする、何かと何かを交換する経済活動。現在は物と物のあいだに金という概念が入って、交換を補助している。)は消費活動の沈静化と共に機能しなくなる。次の経済活動として、金や物を貯め込むのではなく、どんどん誰かに「贈与」したりされたりすることで共同体を作り、生きていける仕組みが出来ないか、という話。金を持っている人が偉く強いのではなく、効果的に他人に貢献できた人が生きやすくなるという。評価経済というのも似たような考え方で、金を持っているだけの人より1万人のtwitterフォロワーが居る人(=評価されている人)のほうが価値を持つ時代、ということを言っている。
正直なところ自分はこの仕組みに憧れがある。
というのは、この「贈与経済」を今現在いちばん実践できているのはオープンソース・ソフトウェア開発の分野で、自分はその分野とそこで生きる人たちに憧れがあるからだと思う。彼らは無償でソフトウェアをアップデートさせる贈与活動を行い続け、そこでの評価によって、生きている。年齢も年収も一切関係がなく、コミュニティへの貢献度だけが全てで、そこから日々を生きるための仕事も作り出されている。オープンソース運動に関しては、オープンソース3部作と呼ばれている(らしい)エリック・レイモンド「伽藍とバザール」「ノウアスフィアの開墾」「魔法のおなべ」という論文を読んだが、殆どユートピアと思われた最も純粋なワーキングスタイルがそこにあって、それがいたって自然に自律的に続いているという姿にすごく感動したのを覚えている。オープンソースのOSとして名高いLinuxの開発者リーナス・トーバルスの自伝のタイトル「それがぼくには楽しかったから」なども、そのピュアなワークスタイルとコミュニティの体質をあらわしていて泣ける。実は、こんなに面白そうなタイトルなのに、まだ読んでいないが…。
この贈与経済などの仕組みが、一般社会において今すぐに機能するとはまだ思えないけれど、自分が今のせせこましい考え方しかできない精神性から成長して、今より少し立派な人(内田樹はそれを公民とよんでいる)になれたのであれば、そういう幸せそうなコミュニティで生きられるのだろうか。












