カテゴリー別アーカイブ: 旅行

Stockholm 02

図書館を出た後は、国立バクテリア研究所(State Bacteriological Labratory)に行った。研究所自体はとうの昔に閉鎖されており、行ったところで内部が見られるのかどうかは疑問だった。とりあえず行ってみたところ、この施設は研究所からオフィスビルを経て、今回新しく「Asplund」という名前のホテルやレストランに生まれ変わるらしく、その内装工事を行っていた。

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中にいた人に呼びかけたら、内部に入れてくれ、工事中の各部屋を見せてくれた。基本的にはなるべくアスプルンドのオリジナルの意匠を残すようにしており、現代的なインテリアと合わせたデザインホテルのようなものを目指すという。壁などもオリジナルの色ですべて新しく塗り直されていた。往々にして、このような歴史的建造物は、たとえ原型と同じ色だったとしても、塗り直したり洗ったりすると、味や凄みが失われることが多いが、これに関しても例外ではないように思われた。

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ただロビーの巨大な吹き抜け空間は、とても良かった。天井付近をぐるりと一周する水平窓から光がソフトに差し込み、角がほどよく落とされた機械室や螺旋階段に回り込むようにあたっていた。先の図書館もそうだったが、全体が明るいのに、同時に全体がほどよく薄暗い感じもするところが、何か自分の琴線を持っていく感じがした。

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ここはデザインホテルになるらしいが、詩的な観点からは、バクテリア研究所時代のほうが情緒があっただろうと思う。デザインホテルがきれいに出来ていても、あまり面白くないが、理性的な研究所で、顕微鏡の世界に没頭する研究員たちの空間が異様に美しいというほうが立体的だと思う。

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研究所の最寄駅は月面基地のようなSF感があった。誰の手によるものかは知らない。

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その後、街の中心部に戻り、スカンディア・シネマ(Skandia Cinema)に行った。たいして下調べもせずに来てしまったので、今日も明日も休館日だった。ここは外観だけ見ても完全に意味のない建物なのだが、どうしようもなかった。

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Stockholm 01

遅めの夏休みを取得していた。休み自体は、前から予定していたものの、何か予定があったわけではなく、昨日まで何をするか、全く決めていなかった。同僚など、会う人会う人、明日から休むと言うと、どこに行くのかと必ず聞かれ、何の予約も取ってないと言うと、それは有り得ない何のための休みなんだと返された。
家で1ヶ月引き篭もっても、まだ全然足りないほど、家でやりたいこともあるのだが、同時に、休み明けに何してたのと聞かれ、ずっと家にいたと答える精神力が自分には無いことも分かっていた。休み中ずっと家にいるのは悪いことでないが、基本的に社会はそれを許容しないだろうし、それはそういうものとして特に思うところはない。
地図を凝視しながらもろもろ考えた結果、アスプルンドの建物を見にスウェーデンに行く事にした。ストックホルムは今年2月にも行ったが、その時は業務だったのでアスプルンドを全く見ずに帰ってきてしまい、そのことを残念に感じていたことを思い出した。

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ストックホルムに到着すると、すぐストックホルム市立図書館(Stockholms Stadsbibliotek)に行った。有名な円筒形のメイン書架室に至る前、エントランス部分に、黒く塗り込められた高い壁に囲まれた前室がある事を知らなかった。黒い壁に光が淡く漏れ照らされて、その上から物体の影が重ねられて、陰影の中の陰影がやたらとメランコリックに感じられた。もろに悲しくなる作用があり、視線を先にやると細い通路を上昇していく階段があって、そこを抜けると一気にふわっと明るい全方位の巨大書架空間が広がる。大仰なくらいの場面展開なのだけど、光がそうとうにきれいなので、斜に構える隙すらなく、圧倒されるものがあった。

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メイン室を取り囲むように、側室にも書架と閲覧コーナーがあった。入った瞬間、何となく「知ってる」空間の感じがした。かつて通っていた、大学の理工学図書館の雰囲気がしたような気がした。設計者の安東勝男が北欧に影響されていたのかどうかは知らないが、そもそも大隈講堂はエストベリ設計のストックホルム市庁舎に影響を受けているとされるし、確か日本で最初にアスプルンドを紹介したのも同大学の今井兼次なので、そこからの系譜で、同大学には常に北欧趣味があったとは、学生の時分に教授から聞かされていた。だから、なんとなく先入観からそう思っただけかもしれない。

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天井付近に回された窓、二階から覗く閲覧机のレイアウト、工業的な鉄パイプと木製の家具など、要素として似ているところがないわけではないが、よくよく考えてみると全体的な明るさの質は全く違う気もした。それでも、上方から斜めにサッと差す光線の具合がやはり何か懐かしい感じがした。理工学図書館の、あの半地下で暗く、閉鎖的な環境、鉄パイプや合板、安っぽい床タイルなどの工業的で無味乾燥な素材、それでいてプロポーションが妙にきれいなインテリアがあり、サッシ窓から差す光が室内のホコリをチリチリと瞬かせている感じに似ていた。本を読む人の孤独っぽい感じが保証されているようで良い雰囲気だと思った。

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この階段なども素っ気ない金属板で、即物的な感じがして心惹かれた。いわゆる名のあるモダニズムの設計者たちは、こういう冷たい素材を使いつつも、それでも空間的に美しい光と影を作ろうとする相反する要素が拮抗していて非常に良い。

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Scotland 03

3日目は、マッキントッシュがインテリアを設計したWillow Tea Roomを見た。ここも全体的に規律を感じる縦長のストライプと、格子と、薄い紫色のアクセントの配色が明快で、面白かった。

_DSC9521 _DSC9525 _DSC9528 _DSC9534 _DSC9541 _DSC9543 _DSC9546この日は自分は夕方から別な用事があったため、午前中にここ一軒を見たのみで、S氏と別れて先にロンドンに帰った。

夕方からの用事というのはMOGWAIプロデュースによる連続ライブのひとつ、TORTOISEおよびGZAのライブを観に行くというもので、連日動いていて、疲れていて気力が失われつつあったのだが、せっかくなので行った。

TORTOISEは初めて見たのだが、なんというか音が変で、主旋律を出している楽器が殆ど聞こえなかったり、ギターがズレて?聞こえたりして、本当はこんな感じじゃないのだろうなと、思った…。正直、自分は音楽的な演奏技術がどうこうという事はあまり判別ができないのだが、Tortoiseのようなバンドはリズムがカッチリしていて、そのピタッと符丁があっている感じが魅力的でもあるので、特に音の変なバランスが気になってしまった。ドラムセット二台によるドコドコとした強いリズムは気持ちがよかったのだが…。また今度は別な場所で見てみたい。

GZAもその流れで、音が変で何かあまりよく聞こえず、もしかして自分の耳が変で、終わっているのだろうかと疑い始めていた頃、隣で見ていた男が、音がひどくて何言ってるか分からない!、と叫び始め、そのまま音響の人のところに詰め寄って、どうにかしろと喚いていたので、そう感じていたのは自分だけではなかったのだと分かった。

何か、あまり楽しめる感じでもなかったので、せっかくなのだが途中で帰路に着いた…。

Scotland 02

理由は知らないが、この時期のグラスゴーは何故か宿が異常な値段になっていたので、昨夜はAirbnb(という一般人の家の空き部屋を安く旅行者に貸し出すサービス)を使って、グラスゴー市内から15分ほど離れた、とある人の家の空き部屋を予約していた。その人とは昨夜、駅で落ち合って鍵を受け取り、簡単に家の説明を受けて別れた。我々は2泊させてもらったのだが、結局、その人はその間、もろもろ用事もあったようで家に帰ってきておらず、我々の貸切のような形になった。

この日は郊外のHelensburgという海辺の町まで電車で行き、マッキントッシュの最高傑作と言われているヒルハウスを見にいった。_DSC9446 _DSC9454 _DSC9458 _DSC9469 _DSC9467

ここも内部は撮影禁止だったので、写真がない。

外観は正直、特別なところは何もない建物なので、内部写真がないと魅力が全く伝わらないのだが、内部は家具から壁紙から、全体の空間装飾がすべてマッキントッシュの手によるもので、丁寧に律されたプロポーションと色彩がかなりよい感じだった。

実際、マッキントッシュの造形は、有名なハイバックチェアに代表されるように、ちょっと異様に縦長で、全体的に重心が上に寄っていて、ある意味バランスが変なのだが、それが逆に非常に特徴的になっている。格子とストライプが主な造形要素なので、シンプルなのだが、プロポーションの取り方にマッキントッシュの独自性があって、プロポーションでキャラクターを際立たせるというのは、単純なだけに相当に難しいと思われるので、やはり歴史的な巨匠とされる凄みは十分にあった。

その後グラスゴー市内に移動し、予約してあったグラスゴー芸術大学の建物案内ツアーに参加した。ここの校舎もマッキントッシュの代表作だったのだが、昨年火事で半分が消失し、いまも修復中なので中に入ることはできなかった。

このツアーでは、マッキントッシュとは関係ないのだが、スティーブン・ホールの設計のReid buildingという校舎も見学することが出来、これが爽やかな建物で非常に良かった。

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特に建物を貫いている何本かのバズーカのような上下方向への抜けが気持ち良かった。

その後もいくつか市内のマッキントッシュの建物を見て、宿に戻った。まだ外がだいぶ明るかったので、小一時間ほど散歩をした。

初日、この宿のある町に着いた時は、いきなり完全に薬などでキマっている感じのフラフラした若い男が、まっすぐ歩けずにフェンスなどにぶつかりながら徘徊している様を目にし、やばい町だと思ってしまっていたが、散歩をしてみると、以外とそうでもなさそうな感じだったことが分かった。とはいえグラスゴーは全体的に危ない感じがしたことも事実ではあった。

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Hamburg 2

朝、用事まで少し時間があったので、宿の周辺を散策した。前回に来た際にも少し観たが、エルプ・フィルハーモニーのコンサートホールの工事現場のあたりをぽつぽつと歩いた。雨が降っていた。

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すでに工期は予定より大幅に遅れ、年単位で延び延びになっているらしいが、港の一角に建築物の設計趣旨等を解説するための小さなパビリオンがあり、その中にはコンセプト模型等が置いてあった。波をかたどった造形のようだ。

さらに赤レンガ倉庫群のあたりも少し歩き、宿に戻った。雨は強くはなかったが、霧のようで、全身が湿ってしまって寒かった。倉庫群の建物は100年以上前のものだが、装飾様式のトーンがあまり立体的でなくグラフィカルなので、現代的な目には格好の良いものに見える。感情的な表現でないので、疲れずに観ていられる。自分は、どんどん疲れやすくなっている。
_DSC1647 _DSC1649 _DSC1650 _DSC1651 _DSC1654 _DSC1657 _DSC1665午後、もろもろを終了し、夕方の便でロンドンに帰った。

Hamburg

_DSC1609早朝の便でハンブルグに来た。もろもろの作業後、夜、人々と食事を取ったのち、何か桜祭り?と呼ばれる日本関連のイベントが行われていたらしく、花火を打ち上げるというので皆で観に行った。ギリギリで間に合わず、会場周辺に向かうタクシーの中から1、2発の大玉を観たのみに終わったが、予期していなかった花火なので、それだけでも心地よい違和感が楽しめて良かった。同行者のうち何人かは、もともとこの花火を観に行く事を予定していたようだったのに、食事が少し長引いて間に合わなかったので、申し訳なかった。

ドイツではレストラン等で人を呼ぶ際、手を上げるのでなく、人差し指を立てるのが良いとされている事を教わった。手のひらを開いて挙げると、ヒトラーへの敬礼のようだというのがその理由らしい。

St.Etienne biennale

午後、バスとトラム等を乗り継ぎ、St.Etienneの街に戻ってきた。

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今回のビエンナーレのグラフィック・アイデンティティは地元の美術大学の学生の手によるものらしい。

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メイン会場となっていたのは古い巨大な倉庫のような建物で、その中に、いくつかのテーマに沿って雑多な作品が大量に展示されていた。実際に市販されているような製品の展示ももちろんあったが、どちらかというと現代アートに寄っており、コンセプチュアルなものが多かった。_DSC1133 _DSC1145 _DSC1156 _DSC1161 _DSC1165

効率性や経済性を求めた結果、明らかに異形にもかかわらずスタンダードとなった物体を複数集めて展示しているコーナーがあり、そこにあったLong eggというものに惹かれた。弁当の工場で、同じサイズのゆで卵のスライスを効率よく作るために、このようにいったん白身と黄身を分離し、巻物のような形に整形し直したものが作られているとの事だった。

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メイン会場を見終わり、あとは街の各地に点在する他の展示を見て回ろうと、パンフレットを片手に街を歩き回ったのだが、今日が日曜だったために、ほとんど全ての会場が閉まっており、これ以上何も見る事ができなかった。ヨーロッパの地方都市では日曜は基本的に全ての店が閉まってしまう事を忘れていた。

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夕方、まだ日は出ていたが、宿のあるLyonの街に戻った。リヨンの街中は何も見ていなかったので、少しだけぶらつこうとしたところ、駅前にたむろしていたDQNから火のついたタバコを投げつけられた。幸い、体にあたる事はなかったが、一言(日本語で)何か言おうと思い、数歩近づいていったところで、ふと我に返り、こういう地域のDQNは自分の想像を遥かに超えて頭がやばいので、コロッと刺される可能性すらあると思い、関わるべきでないと考え直し、逃走した。自分は世界でも有数の平和な国から来た。こういう場面では限界まで臆病になっておいて損はないということを忘れるところだった。善悪の概念はもとより死生観があまりにも違うと思われた。

実際にそこそこ名のあるLyonの街ですら、日曜は多くの店が閉まっており、そこら中に暇を持て余した若者のグループが発生して、意味なく体を揺らしたりしていた。駅前のショッピングモールの中も殆どのテナントのシャッターが下りていた。館内のベンチにはどこも誰かが座っていたが、特に何をしている風でもなく、ただ座って時間を潰しているという感じだった。

翌朝、朝7時の便でロンドンへと戻った。
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Firminy 03

最後に、文化の家と運動場に行った。_DSC0970 _DSC0971 _DSC0974

激しく斜めにせり出した壁面と、大きく湾曲した天井面のコントラストが良い感じだった。

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この階段も、ハイヒールのような形になっていてスマートだった。

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窓や階段など、水平や垂直に連続する要素のリズムがとても美しかった。さきのユニテ・ダビタシオンにしても、これにしても、各要素のコンポジションそれ自体は平面的なのに、空間的な奥行きが感じられた。外観と内観が分離しておらず連続的に美しいのも良い。

館内は、受付の人がひとりいただけで、他には誰も利用者がおらずがらんとしていた。いくつかの部屋はコルビジェの計画案などの展示に使われており、流れているビデオの音声が、無人の廊下に痴呆のように無限に漏れていた。

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併設のグラウンドには、チンピラっぽい人々がバイクで乗り入れていた。最初はバイクの練習でもしているのかと思ったが、ノーヘルでグラウンド内を暴走し地面を削って遊んでいた。

さきほどまで居たプールでの、競技会にいそしむ女子達、それを応援する見物席の親達の姿、跳ね返る水…。日曜の暇なグラウンドで原チャリと戯れる中高生くらいのDQN、砂に残る跡、他人の自分…。全員が、価値のない話の中にいるようにさらっとしていた。その寡黙さが空間に合っていた。ほとんど役割を失っても、美しさが失われないものだけが建築と呼ばれる。光景が、総合的にあまりに静かで錆びていた。

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運動場にも下りてみた。かつて陸上部だった時代をどうしても思い出してしまう。思い出すという現象はそれ自体が悲しみを伴うので意味なくエネルギーを要する。良い思い出も悪い思い出も、一切関係がない。思い出すこと自体が感傷的な作用をもつ。

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ひととおりコルビジェの建築群を見おわり、日曜で殆どの店の閉まった街中を歩きながら駅までもどった。次のSt.Etienne行きの列車まで1時間以上あったので、列車を諦めバスで移動する事にした。

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Firminy 02

サン・ピエール教会に行った。これはコルビジェの死後、数十年に渡り工事が止まっており、2000年以降に、コルビジェ建築が町おこしになると市議会で議決されたのちに、目玉作品として工事が再開され、完成したという建物。

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基本的に、造形はけっこうゴチャゴチャしていて、なんと言うか実験作だったのかなという気がする…。部分を切り取ると面白い構成が見られるのだが、全体的には主題がないような感じで、そんなに秀作ではないという感じがする。コンクリートが新しくツルツルしているのがまた暴力性に欠ける。

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また、この建築の目玉は、壁面に穿たれた、オリオン座をかたどった無数の穴で、ここから内部空間に美しく光が漏れるというものなのだが、外観から受ける印象と同じで、装飾が具象的すぎるのではと思う。コルビジェが生きていたらこんな安っぽいプラネタリウムみたいなの作ったかな、という疑問が残った。

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個人的には、こういう直で星座をかたどるという小細工的な光の操作は期待していなかった。美しいかな?これ…。余計な事するなよという感じがする。

他には、まさにコルビジェっぽい、幾何形態と色による光の操作がたくさんあり、きれいではあったのだが、どうもプラネタリウムの失望を引きずってしまい、全体の印象を引き下げてしまい、あまり総合的に良いと思えなかった。_DSC0909 _DSC0912 _DSC0917 _DSC0919 _DSC0925 _DSC0926 _DSC0928 _DSC0936 _DSC0937 _DSC0956建物内にはビエンナーレの出展作品のひとつである、YURI SUZUKIのインスタレーションが随所に寄生した菌糸類のように置かれていた。来場者が自由にパイプを組み立て、設置できるタイプのものだったようだ。これはこれからもっと量が増えてごちゃっと空間を支配したら面白そうだった。

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教会の隣にはプールがあり、これもコルビジェの設計物。中は見学させてもらえたが、女子の水泳大会みたいなものが開催されており、写真はやめてくれとのことだったので、外観写真しかない。窓の割り方がきれいだった。