カテゴリー別アーカイブ: 旅行

Firminy 01

朝、Lyonの駅からSt Etienneを経由してFirminyという街に向かった。主目的はサンテティエンヌのビエンナーレだが、それは午後に行く事にした。ここフィルミニにはル・コルビジェの建築が数点まとまって建っており、街もそれを文化遺産として残して町おこしに使っている。リヨン近郊には、他にももっと有名なコルビジェ建築のラトゥーレット修道院があるが、今回、カード停止のトラブルによる一日ロスがあったため、行程から外さざるを得なかった。また改めて来たい。

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最初に高台の上に建っているユニテ・ダビタシオンに向かった。ユニテはフランスとドイツに合わせて5棟あり、知名度はマルセイユのものが最も高く、ここフィルミニのものはさして有名ではないらしかった。

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規格化された部材の硬質なグリッドの反復に対して、原色の色面や、ランダムな小窓などが良い感じでアクセントとして効いていた。ただピロティの柱は(行ったこと無いが)マルセイユのもののように丸みのあるエッジのほうが良かったのではと切に思った。ピロティの部材が丸ければ、その上のボックス群との対比がもっと強くなって、この幾何学的ボックス群の平面が地面から浮いたように見えたのではと思う。マルセイユのユニテには、屋上に謎の逆円錐みたいな激しいエレメントが乗っかっているが、ここにはそれはなく、やや控えめな円柱状のものが乗っていた。実際にこの巨大で完璧に律されたグリッド平面を見ると、確かに、屋上かピロティかでリズムを崩さないと、全体的な均衡が取れないので、なぜあの逆円錐をくっつけたのかが分かるような気もした。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン from Wikipedia

マルセイユのユニテ・ダビタシオン from Wikipedia

確かコルビジェ自身は、「屋上というものは、それまでせいぜい雀や猫が使っていたくらいのものだったが、マルセイユの街を眼下に見下ろせる素晴らしい景色を含んだ空間なので、それらを人間のためにちゃんと作ろうと思った。屋上のエレメントはマルセイユの街をかたどった。」みたいなことを書いていたように記憶している。

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共用部は自由に入る事が出来た。各部屋のドアが赤青黄緑の4色で塗り分けられており、そこに反射した光が廊下全体をカラフルに染めていた。_DSC0807_DSC0823_DSC0829_DSC0833

玄関の横のメイン壁面には、例の「モデュロール」のかたどりがあった。どのユニテにもこのレリーフがあるらしい。モデュロールというのは人体寸法を用いた尺度で、このユニテは、メートルという単位、子午線の一千万分の一というだけで決定された人間と関係ない単位を捨てて、寸尺の体系で設計された。その証明と啓蒙のために、このモデュロールマンが穿たれている。

人間的尺度に基づいているので「使いやすく」「住みやすい」住宅だという誤解があるが、この設計者はそういうどうでもいい優しさで設計しておらず、もっと暴力的な形態の理論家だということは、このソリッド過ぎるコンクリート表現からも感じられる。このレリーフでは示されていないが、実際に、モデュロールの核になっているのは数学、それも比例で、コルビジェが最初に研究していたのは黄金比や、それと関連するフィボナッチ数列等の比例を用いた造形システムで、それらの比率を使って建築部材のプロポーションを律していくことで、全体的に調和のとれた美しい建築物を作ろうとしていた。

Modulor

たまたま持っていた、コルビジェ著の「LE MODULOR(吉阪隆正・訳)」によると、モデュロールは「人体寸法と数学から生まれた、寸法をはかる道具」で、「足、へそ、頭、上にあげた手とによる三つの間隔は、内にフィボナッチと呼ばれる黄金比を含む」と書いてあり、さらに「モデュロールの使用から生まれる組み合わせは無限」で、それは「数学の厳密なすばらしい遊び」で「美しい結果」を生むと書かれている。

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これはその本に載っている、モデュロール開発途中の概念図だが、最初は純粋に比例格子が作る美しいコンポジションの研究をしていて、あとから人体寸法をそれに当てはめているような解説になっている。最初に人体寸法が基準としてあったわけではない。

この頃コルビジェは「工業的現実」に則して、正確かつ能率的な量産住宅を作るための研究に取り組んでいた。そのために何らかの「規格」が必要なのだが、それは、単調で非人間的なものでなく、豊穣でなければならないと考えていた。その豊穣な規格というのは、本の中ではよく音楽に例えて説明されており、ピアノの鍵盤などは、物理的には無数にある音程の中から、12音階を限定して切り取っているが、無限の変化がそれで失われるという事はなく、自由度がありながらも常に調和がとれている、理想的な規格となっているというもので、同じようなことを建築で実現しようとしたのがモデュロールという事になる。

モデュロールというのは、人間と機械の妥結であり、それは感情と数学のことであり、比例の格子のことだと書かれている。

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モデュロールが何なのかということは、本の中に書かれている、所員とコルビジェのやりとりを読むとよくわかる。この一節は非常に格好良く、好きなので全文引用する。

私はModulorの使用法に、或はその使用を統御することに深い注意を払った。だから私は体験を話す事ができる。製図板上に時にはまずい配列、いやらしいものが見られた。

『先生、Modulorに従ったのですが—』

『Modulorなんかいいさ、消したまえ、君はModulorを下手くそや不注意者の万能薬とこころえているのか、もしModulorがいやらしいものへ導くなら、Modulorなど捨てたまえ。君の目が判定者だ、君の認めなければならない唯一のものだ。目で判定したまえ、君。そしてすなおに私とともに、爾今Modulorは道具であること、正確な道具であること、いわば鍵盤なのだ、ピアノなのだ、調律してあるピアノなのだということを認めたまえ。ピアノは調律されている、うまく弾くかどうかは君に関することだ。Modulorは才能を与えはしない。天才的才能などはなおさらである。重苦しいものを軽快にすることはない。確かな尺度の使用から来る安全さを提供するだけだ。しかし、Modulorの限りない組合わせの中から、「選ぶ」のは君だ。』

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次にサン・ピエール教会に向かった。ちなみにここフィルミニには全部で5つのコルビジェ作品が集まっており、ユニテが想像以上に良かったあまり記事が意味なく長くなり過ぎたので、分割する。

Essen

Düsseldorf郊外のEssenという街に行った。用事があった場所の側にSANAAの設計の建物がひとつあった。非常に清潔な感じの造形だった。中には入れなかったが、内部も、殆ど仕上げらしい仕上げの施されていないようなマットなコンクリートのさらっとした感じで、躯体のままで純化されて止まっているような感じが美しいと思った。
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通りにはいくつかの巨大な黄色い鳥の像が置かれていた。自分が見つけただけでも3匹あったが、それ以上いたのかどうかは分からない。

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Mont Saint Michel

昨夜は風邪のため熱が凄まじく出たが、今朝は多少、良くなっていた。咳だけはかなり出る。

今回の旅の見所の一つであるMont Saint Michelに行った。山頂の修道院は、今日はたまたま無料で入れる日だった。島の雰囲気、修道院の入り組んだ高低差のある内部空間など、見ごたえがあり良かったが、体調の悪さもあってか全体的に記憶がぼやけており、写真も殆ど残っていない。それでもここは行って良かったと思える空間だった。
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山の周辺の干潟は多くの工事用重機が来ており、何か知らないがもろもろ工事をしていた。おそらく冬場はメインの観光時期ではないために、ある程度メンテナンスを集中してこの時期にやるのだろう。

_DSC0261のちに、ここに行ったことをフランス人同僚氏に話したら、「自分は行ったことが無いが、あそこが日本人にとにかく人気が高いのは知ってる」と言っていた。確かにモンサンミシェル内のレストランのメニューは、フランス語、英語、日本語の3言語で書かれていた。

前にイギリスのコッツウォルズのLower Slaughterという村に行ったときに、そこの水車博物館の受付の人が、昔は日本人がたくさん来たから日本語を覚えたのに、いまは全然来なくなってしまって、代わりにぽつぽつ中国人が来始めたので中国語を学んでいる、と言っていたのが思い出された。これはどこの観光地でもよく聞く珍しくない話で、個人的にはどうでもよかったが、この時の「日本語を覚えた」というのが、「アリガトウ」「コンニチハ」「サヨウナラ」あたりの3−5種類の単語を覚えたことを指しており、その言い切りの自信の持ちようのほうが興味深く、清々しいものがあった。

その後、またカーフェリーに乗ってイギリスに戻るためOuistrehamの港に行った。帰りのフェリーは夜の便を取ったため、船室で休んで、朝にはイギリスのPortsmouthに到着した。

Honfleur, Trouville

昨日、Honfleurに到着したのはすでに日が沈んだ後だったため、今日改めて町を散策した。昨日は、イギリスよりずいぶん暖かいと思った気候だが、今日は雨が降っており、非常に寒かった。

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基本的に、冬場は観光についてあまりやる気を出していないようで、この町にあるほとんどの美術館類は閉館していた。一応、観光案内所は空いており、地図を渡されていくつか主要な教会や公園等を教えてもらった。

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もらった地図の中に、何か良くわからない水路が入り組んで走っている公園が記されており、一応行ってみたが、そこには傘の下でうずくまって力なく笑っている謎の像があるのみで、意味が分からなかった。

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犬の後始末の看板に書かれている犬が、やはりどことなくフランス的な洒脱な雰囲気を出しているような気がした。何故、2匹描かれているのかは知らない。

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この町は作曲家のサティが生まれた町としても知られており、その生家が残されて博物館になっているのだが、そこも閉館していた。閉館していることは事前に調べて知っていたので、特に心的ダメージを負うことはないと思っていたが、やはり実際に入れないとなると悲しいものがあった。敷地内には、スピーカーからサティの曲のCDがループで流れており、そのとってつけたような安さは面白かった。洋梨のマークは、サティの楽曲「梨の形をした3つの小曲」によるものとのこと…。サティの曲名は「犬のためのだらしない前奏曲」「胎児の干物」「スポーツと気晴らし」「不愉快な概要」など、秀逸なものが多い。梨のやつも、3つの小曲と言っておきながら全7曲からなるというあたりもキレがよい。

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午後はTrouvilleという町に移動した。ここはポスター作家として著名な画家のサヴィニャックが晩年を過ごした町として知られており、また町もそれを一大観光資源にしており、サヴィニャックの残した看板が町のあちこちに残っている。観光案内所には日本語の解説付きマップがあった。雨が強く降っているのと、寒いのとで大変だったが、それを見ながら、見られるだけ町を回った。

_DSC0202 _DSC0205 _DSC0208 _DSC0212 _DSC0214 _DSC0215 _DSC0220 _DSC0224 _DSC0226 _DSC0229 _DSC0230サヴィニャック美術館は開館しており、そこではいくつもの原画を見ることが出来た。サヴィニャックは全体的にざっくりしているのに、色が明快で強くて、キャラクターの造形力が高くて良い…。

宿までさらに2時間ほど、西へ移動した。寒さのせいか体調を急激に崩し、フラフラとし始めたため、宿で早めに休んだ。

Newhaven, Dieppe

フランス北部、ノルマンディー地方に行った。イギリス南部のNewhavenから出発するカーフェリーに乗り、車を使用して行ってみた。今日はほとんど移動の日だったが、夕方前にフランスのDieppeの港に着き、そこから1時間半ほどかかって宿泊地であるHonfleurという町に着いた。ノルマンディー地方は、フランスに住んでいた同僚氏が「Super boring(超つまならい)」と言っていたほどの田舎であるために車はあまりなく、車どころか家も人も家畜すら見えないような高速道路をひたすら行った。

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Honfleurの町は一応、それなりの観光地らしく、割と多くの店が夜までやっているようだった。夕食には、ガレットという、そば粉を使用したクレープが有名なエリアらしいので、それを食べた。そもそも甘くない食事用のクレープを食べたことが殆ど無かったのだが、このガレットは非常においしいと思った。そんなに難しそうな料理には見えないので、自分でも出来そうな気もする。

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Bluebell Railway

Bluebell railwayというイギリス南部を走る保存鉄道に乗った。50年ほど前に、当時の鉄道愛好家達が廃線を買い取り、自らの手で古い蒸気機関車をレストアして走らせたのが始まりで、今に続く保存鉄道となっているらしい。イギリスは蒸気機関車の発祥の国なので、このような保存鉄道が国内にいくつかあり、世界中から愛好家たちがやってくるようだ。

_DSC9936_DSC9942_DSC9943_DSC9953_DSC9957_DSC9962_DSC9969-_DSC9974_DSC9978_DSC9986_DSC0003_DSC0006列車は北端のEast Grinstead駅から45分ほどで、南端のSheffield Park駅に到着した。この鉄道は全4駅しかない。Sheffield Park駅には充実した博物館も併設されており、様々な鉄道グッズが陳列されていた。_DSC9950車両の雰囲気は非常におもむき深く、特に内装の化粧材として貼られた木パネルと、そこに何度も厚塗りされたらしき飴色のニスの風合いが良かった。座席のクッションの、埃っぽさ、やけにサスペンションが柔らかいバネの感じ、座る時のギチギチという、スプリングコイルが圧縮される感じがありありと分かる音なども、良いと感じさせるものがあった。

車内の後方の座席で、老人が二人乗っていたのだが、出発から到着まで、途切れること無く、ずっと何か話していた。あまり聞き取れなかったが、鉄道とは別に関係ない普通の世間話をしていたように聞こえた。ただ、エンジンの始動時、微妙な振動と共に床の下から何かカチ、カチンという音がし始めたときに、老人の片割れがひと呼吸置いて、「(ロッドの)音だ」とだけ言って、また世間話に戻っていったとき、何か彼らの風格が急激に上がって見えた気がした。

ほとんど聞いていなかったので実際は、鉄道の話や昔話ばかりしていたのかもしれないが、それでも問題は一切ないし、知らない。

Rye, Brighton

Ryeという町に行く。カメラの撮影モードが、何故かイラストレーションモード(撮影した画像をイラスト風に加工して記録するモード)になっており、全く気付かずに使っていたため、画像が全て意味なくイラスト調になってしまっていた…。

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Ryeは小さな町だが、アンティーク屋がいくつもあったり、古い丸石を敷き詰めた坂道があったりと風情がある…。坂の上の教会にはクリスマスツリーが飾られていた。この教会には町を見渡せる展望台があり、登っていったが、雨と、吹き付ける冷たい風とで長くは居られず、ぐるりと周囲を見渡して塔内に逃げ込んだ。

3時過ぎくらいに町を見終わり、もう一カ所くらいどこかに寄れる時間がありそうだったため、そこから更に1時間ほどかけてBrightonに行った。ここは既に何回も来ている海辺の街で、海に架かる桟橋がまるごと遊園地になっているブライトン・ピアが有名だが、暗い時間帯にそれを見たのは初めてだった。現在、イギリスは夕方4時で真っ暗になるために、一日がとても短く感じる。ブライトン・ピアのまたたく電飾は、恐ろしい深さで暗い海と、波の轟音とのなかで異様なほど能天気にピカピカとしていて、典型的な悲哀があった。暖をとるため、皆、園内の屋内メダルゲームエリアに逃げ込んで、メダル押し出しゲーム等に興じており、それも同等の良い悲哀があった。あまりに寒すぎたため、ブライトンからはすぐに撤退した。

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意図せずカメラがイラストモードになっていたために、ピアの写真はこのような謎の抽象的発光体として記録されていた。現実にはそこにあった寒々しい波や、叩き付けるような雨は映っておらず、細長い光る未来的な構造物が、無に吸い込まれていくような夢っぽい絵になっていた。銀河鉄道に乗れなかった者が、地上からそれを遠く見送るような辛さがあり悪くないと思った。

Peacock

昨日に引き続き、弟と観光に出る。ロンドン市内は昨日一日でけっこう見たので、今日は少し遠出して、世界遺産でもあるキューガーデン(キュー王立植物園)に行った。冬期なので入園料が半額近く安くなっていた。しかし事前にネット予約したものの、お金を払ったのに、システムのトラブルでe-チケットが発券されず、電話でもろもろ抗議したものの、チケット管理会社が違うので対応できない、エントランスでもう一回チケットを買ってそのレシートを管理会社に送ってくれれば返金するなどと言われ、仕方なくもう一回買った。しかし行列などは一切無かったので良かった。

ボンサイハウスなどを見る。

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パームガーデンなど。

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クジャクがベンチに座っていた。クジャクは英語でPeacockというが、東京に居た頃、良く利用していた同名のスーパーマーケットの印象が強すぎて、クジャク本体のイメージと結びつかず、うまく覚えられない。

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キューを散策した後、近くのサンデーローストがおいしい(らしいとネットで調べた)店に行った。繁盛しており、前評判の通り非常においしかった。野菜類も非常に柔らかく、甘い感じでよかった。

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その後、更に車で30分程の、ウィンザー城に行ってみたものの、まさかのこの日は15:00で城が公開終了だったらしく、中に入れずに終わった。下調べが不十分で弟には申し訳なかった。

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ここがロイヤルな街だよなどと説明しながら街をぶらついた。近くにあった、イートン・カレッジという、後の首相を十数人輩出しているイギリス一番の名門校(中高一貫校)にも立ち寄り、雰囲気を楽しんだ。

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ウィンザーですることがあまり無くなったので、その後、弟が自分の勤務する会社をちょっと見てみたいというので、そこまで行って会社正面で写真を撮ってもらう等、した。休日に会社に来ることはあまりないので、不思議な感じがしたが、毎日来ている場所ですら、普段と違う文脈で訪れると新鮮に見えて面白かった。

その後、最近わりと良く行っているピザ屋に行った。ここのピザは何度来ても美味しいと思う。たいがいピザという物はおいしいものだが、ここのは特によい。

弟は明日からまたイギリスを北上しスコットランドに行くという。朝が早いので、早めに帰宅して休んでもらった。ここに泊まるのは今日が最後だが、イギリス国内には来週末まで居るとのこと。がっつり各地を廻っているようで、特に北の方は自分もあまり行ったことが無いので、すでに自分より詳しそうだ。

BIG BUS

今日は弟と観光に出かけた。前に両親が来た時と同じように、乗り降り自由のロンドン市内の周遊観光バスを使って、ビッグベンやタワーブリッジ等の主要な観光名所を廻りつつ、Borough MarketやショーディッチエリアのSpitalfields MarketやBrick Lane等も廻った。弟の希望でOxford CircusにあるBBCの本社も観に行った。食品のマーケットであるBorough Marketは、両親を連れてきた時は日曜で店が出ておらず、残念だったが、今回は賑わっていた。あの時は運良くマーケット脇のスペイン料理屋がやっており、屋外の席でパエリヤ等を食べたが、今回も同じ店でほぼ同じような席で昼食をとった。おいしかった。兄夫妻も連れてこられると良いが…。

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夕食は自宅近くの中華料理屋へ行った。ここは20ポンドくらいのコース料理でこれでもかというくらいに料理が出てきて、どれもおいしいので、お腹がいっぱいになった。

Kew Garden, Windsor

Kew gardenに行く。2年近く前、まだ本格的にイギリスに来る前にも一度来たことがあるが、変わらず気持ちのよい場所で、良かった。前回は良くわからずに適当に歩いていたせいか、明らかに見逃した場所等もあり、今回、それらを見られてよかった。

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Kew gardenには大きな温室が二つあり、そのうち一つは現在改修中で、中に入れないものと思っていたが、中が見られるようになっており、植物が完全に取り除かれたスケルトンの状態を見ることができる。入り口付近で初老の男性がこの様子をスケッチしていたが、この空の様子が非常に美しい感じがした。

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その後、割と近くにありながら、行ったことが無かったWindsor城にも行った。イギリスの王族がいまだに住居として使用している城で、エリザベス女王が毎週末を過ごす城としても知られているようだ。割と混んでおり、駐車場を探すのに苦労したが、ショッピングセンター併設の駐車場になんとか空きを見つけることが出来た。城の内部は、写真撮影が禁止されていたが、想像以上の豪奢なつくりで、部屋の隅から隅まで寸分の隙もなく高級感に満ちていた。ヨーロッパ的なラグジュアリー感のすべてがここにあるような気さえした。

_DSC5167 _DSC5168 _DSC5172さらにその後、W氏の大学に用事があり、そこに寄り、帰宅した。少し図書館の中を見せてもらったが、重厚な本棚に古そうなハードカバーの本ががっつりと詰まっている一室があり、並々ならぬアカデミック感があった。ウィンザー城にしても、図書館にしても、自分が生まれるはるか前から存在しており、また自分の死後も存在し続けることは、ほぼ確定している。

夜は自宅近くのパブにて食事をとった。