カテゴリー別アーカイブ: 美術

Firminy 03

最後に、文化の家と運動場に行った。_DSC0970 _DSC0971 _DSC0974

激しく斜めにせり出した壁面と、大きく湾曲した天井面のコントラストが良い感じだった。

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この階段も、ハイヒールのような形になっていてスマートだった。

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窓や階段など、水平や垂直に連続する要素のリズムがとても美しかった。さきのユニテ・ダビタシオンにしても、これにしても、各要素のコンポジションそれ自体は平面的なのに、空間的な奥行きが感じられた。外観と内観が分離しておらず連続的に美しいのも良い。

館内は、受付の人がひとりいただけで、他には誰も利用者がおらずがらんとしていた。いくつかの部屋はコルビジェの計画案などの展示に使われており、流れているビデオの音声が、無人の廊下に痴呆のように無限に漏れていた。

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併設のグラウンドには、チンピラっぽい人々がバイクで乗り入れていた。最初はバイクの練習でもしているのかと思ったが、ノーヘルでグラウンド内を暴走し地面を削って遊んでいた。

さきほどまで居たプールでの、競技会にいそしむ女子達、それを応援する見物席の親達の姿、跳ね返る水…。日曜の暇なグラウンドで原チャリと戯れる中高生くらいのDQN、砂に残る跡、他人の自分…。全員が、価値のない話の中にいるようにさらっとしていた。その寡黙さが空間に合っていた。ほとんど役割を失っても、美しさが失われないものだけが建築と呼ばれる。光景が、総合的にあまりに静かで錆びていた。

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運動場にも下りてみた。かつて陸上部だった時代をどうしても思い出してしまう。思い出すという現象はそれ自体が悲しみを伴うので意味なくエネルギーを要する。良い思い出も悪い思い出も、一切関係がない。思い出すこと自体が感傷的な作用をもつ。

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ひととおりコルビジェの建築群を見おわり、日曜で殆どの店の閉まった街中を歩きながら駅までもどった。次のSt.Etienne行きの列車まで1時間以上あったので、列車を諦めバスで移動する事にした。

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Firminy 02

サン・ピエール教会に行った。これはコルビジェの死後、数十年に渡り工事が止まっており、2000年以降に、コルビジェ建築が町おこしになると市議会で議決されたのちに、目玉作品として工事が再開され、完成したという建物。

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基本的に、造形はけっこうゴチャゴチャしていて、なんと言うか実験作だったのかなという気がする…。部分を切り取ると面白い構成が見られるのだが、全体的には主題がないような感じで、そんなに秀作ではないという感じがする。コンクリートが新しくツルツルしているのがまた暴力性に欠ける。

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また、この建築の目玉は、壁面に穿たれた、オリオン座をかたどった無数の穴で、ここから内部空間に美しく光が漏れるというものなのだが、外観から受ける印象と同じで、装飾が具象的すぎるのではと思う。コルビジェが生きていたらこんな安っぽいプラネタリウムみたいなの作ったかな、という疑問が残った。

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個人的には、こういう直で星座をかたどるという小細工的な光の操作は期待していなかった。美しいかな?これ…。余計な事するなよという感じがする。

他には、まさにコルビジェっぽい、幾何形態と色による光の操作がたくさんあり、きれいではあったのだが、どうもプラネタリウムの失望を引きずってしまい、全体の印象を引き下げてしまい、あまり総合的に良いと思えなかった。_DSC0909 _DSC0912 _DSC0917 _DSC0919 _DSC0925 _DSC0926 _DSC0928 _DSC0936 _DSC0937 _DSC0956建物内にはビエンナーレの出展作品のひとつである、YURI SUZUKIのインスタレーションが随所に寄生した菌糸類のように置かれていた。来場者が自由にパイプを組み立て、設置できるタイプのものだったようだ。これはこれからもっと量が増えてごちゃっと空間を支配したら面白そうだった。

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教会の隣にはプールがあり、これもコルビジェの設計物。中は見学させてもらえたが、女子の水泳大会みたいなものが開催されており、写真はやめてくれとのことだったので、外観写真しかない。窓の割り方がきれいだった。

Firminy 01

朝、Lyonの駅からSt Etienneを経由してFirminyという街に向かった。主目的はサンテティエンヌのビエンナーレだが、それは午後に行く事にした。ここフィルミニにはル・コルビジェの建築が数点まとまって建っており、街もそれを文化遺産として残して町おこしに使っている。リヨン近郊には、他にももっと有名なコルビジェ建築のラトゥーレット修道院があるが、今回、カード停止のトラブルによる一日ロスがあったため、行程から外さざるを得なかった。また改めて来たい。

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最初に高台の上に建っているユニテ・ダビタシオンに向かった。ユニテはフランスとドイツに合わせて5棟あり、知名度はマルセイユのものが最も高く、ここフィルミニのものはさして有名ではないらしかった。

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規格化された部材の硬質なグリッドの反復に対して、原色の色面や、ランダムな小窓などが良い感じでアクセントとして効いていた。ただピロティの柱は(行ったこと無いが)マルセイユのもののように丸みのあるエッジのほうが良かったのではと切に思った。ピロティの部材が丸ければ、その上のボックス群との対比がもっと強くなって、この幾何学的ボックス群の平面が地面から浮いたように見えたのではと思う。マルセイユのユニテには、屋上に謎の逆円錐みたいな激しいエレメントが乗っかっているが、ここにはそれはなく、やや控えめな円柱状のものが乗っていた。実際にこの巨大で完璧に律されたグリッド平面を見ると、確かに、屋上かピロティかでリズムを崩さないと、全体的な均衡が取れないので、なぜあの逆円錐をくっつけたのかが分かるような気もした。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン from Wikipedia

マルセイユのユニテ・ダビタシオン from Wikipedia

確かコルビジェ自身は、「屋上というものは、それまでせいぜい雀や猫が使っていたくらいのものだったが、マルセイユの街を眼下に見下ろせる素晴らしい景色を含んだ空間なので、それらを人間のためにちゃんと作ろうと思った。屋上のエレメントはマルセイユの街をかたどった。」みたいなことを書いていたように記憶している。

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共用部は自由に入る事が出来た。各部屋のドアが赤青黄緑の4色で塗り分けられており、そこに反射した光が廊下全体をカラフルに染めていた。_DSC0807_DSC0823_DSC0829_DSC0833

玄関の横のメイン壁面には、例の「モデュロール」のかたどりがあった。どのユニテにもこのレリーフがあるらしい。モデュロールというのは人体寸法を用いた尺度で、このユニテは、メートルという単位、子午線の一千万分の一というだけで決定された人間と関係ない単位を捨てて、寸尺の体系で設計された。その証明と啓蒙のために、このモデュロールマンが穿たれている。

人間的尺度に基づいているので「使いやすく」「住みやすい」住宅だという誤解があるが、この設計者はそういうどうでもいい優しさで設計しておらず、もっと暴力的な形態の理論家だということは、このソリッド過ぎるコンクリート表現からも感じられる。このレリーフでは示されていないが、実際に、モデュロールの核になっているのは数学、それも比例で、コルビジェが最初に研究していたのは黄金比や、それと関連するフィボナッチ数列等の比例を用いた造形システムで、それらの比率を使って建築部材のプロポーションを律していくことで、全体的に調和のとれた美しい建築物を作ろうとしていた。

Modulor

たまたま持っていた、コルビジェ著の「LE MODULOR(吉阪隆正・訳)」によると、モデュロールは「人体寸法と数学から生まれた、寸法をはかる道具」で、「足、へそ、頭、上にあげた手とによる三つの間隔は、内にフィボナッチと呼ばれる黄金比を含む」と書いてあり、さらに「モデュロールの使用から生まれる組み合わせは無限」で、それは「数学の厳密なすばらしい遊び」で「美しい結果」を生むと書かれている。

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これはその本に載っている、モデュロール開発途中の概念図だが、最初は純粋に比例格子が作る美しいコンポジションの研究をしていて、あとから人体寸法をそれに当てはめているような解説になっている。最初に人体寸法が基準としてあったわけではない。

この頃コルビジェは「工業的現実」に則して、正確かつ能率的な量産住宅を作るための研究に取り組んでいた。そのために何らかの「規格」が必要なのだが、それは、単調で非人間的なものでなく、豊穣でなければならないと考えていた。その豊穣な規格というのは、本の中ではよく音楽に例えて説明されており、ピアノの鍵盤などは、物理的には無数にある音程の中から、12音階を限定して切り取っているが、無限の変化がそれで失われるという事はなく、自由度がありながらも常に調和がとれている、理想的な規格となっているというもので、同じようなことを建築で実現しようとしたのがモデュロールという事になる。

モデュロールというのは、人間と機械の妥結であり、それは感情と数学のことであり、比例の格子のことだと書かれている。

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モデュロールが何なのかということは、本の中に書かれている、所員とコルビジェのやりとりを読むとよくわかる。この一節は非常に格好良く、好きなので全文引用する。

私はModulorの使用法に、或はその使用を統御することに深い注意を払った。だから私は体験を話す事ができる。製図板上に時にはまずい配列、いやらしいものが見られた。

『先生、Modulorに従ったのですが—』

『Modulorなんかいいさ、消したまえ、君はModulorを下手くそや不注意者の万能薬とこころえているのか、もしModulorがいやらしいものへ導くなら、Modulorなど捨てたまえ。君の目が判定者だ、君の認めなければならない唯一のものだ。目で判定したまえ、君。そしてすなおに私とともに、爾今Modulorは道具であること、正確な道具であること、いわば鍵盤なのだ、ピアノなのだ、調律してあるピアノなのだということを認めたまえ。ピアノは調律されている、うまく弾くかどうかは君に関することだ。Modulorは才能を与えはしない。天才的才能などはなおさらである。重苦しいものを軽快にすることはない。確かな尺度の使用から来る安全さを提供するだけだ。しかし、Modulorの限りない組合わせの中から、「選ぶ」のは君だ。』

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次にサン・ピエール教会に向かった。ちなみにここフィルミニには全部で5つのコルビジェ作品が集まっており、ユニテが想像以上に良かったあまり記事が意味なく長くなり過ぎたので、分割する。

Essen

Düsseldorf郊外のEssenという街に行った。用事があった場所の側にSANAAの設計の建物がひとつあった。非常に清潔な感じの造形だった。中には入れなかったが、内部も、殆ど仕上げらしい仕上げの施されていないようなマットなコンクリートのさらっとした感じで、躯体のままで純化されて止まっているような感じが美しいと思った。
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通りにはいくつかの巨大な黄色い鳥の像が置かれていた。自分が見つけただけでも3匹あったが、それ以上いたのかどうかは分からない。

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胡麻

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from Barbican website

from Barbican website

Barbican art galleryにて「Magnificent obsessions: The artist as collector」という展示を見た。ウォーホルやダミアン・ハースト、ソル・ルウィット、杉本博司など、各国の著名な現代美術作家の個人収集物に焦点を当てた展示会で、それらの人々の作品に影響を与えたであろうイメージソースが大量に並んでいた。アフリカのブードゥー人形、呪物などの登場比率が高い気がした。昨今の個人的な心の動きとして、ものを集めるというところからなるべく遠ざかりたいと思っているので、ものが集まっているというだけで何か苦しくなってしまって、あまりひとつひとつをじっくりと見る気になれなかった。

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別室ではRoman Signerという作家の「Slow Movement」という展示が行われていた。大きくカーブした100メートルほどの部屋を、無人の赤いカヤックがロープで引きずられながらゆっくりと行ったり来たりするというだけの展示で、虚ろなのに緊張感があり、良かった。人の歩く速度よりわずかに遅い程度の速度で、床をこすりながら移動するカヤックに吸い寄せられ、何人もの人が幽霊のように後を付いていった。

_DSC0192その後は少しだけ街を散策して、帰った。以前にも書いたが桜っぽい何かがそこら中に植わっている。日本の桜のような華やかさはない。種類が違うのだろうが、桜は日本にしか無い物だとずっと思っていたために、未だにこういうロンドンの桜を見ると、何か空間が継ぎはぎになったような異次元感覚がする。

いなくていい人

天気が悪く、寒すぎ、暗い日だった。この冬は特にどこにいくでもなく家で作業をしている週末が多くなったので、特に記すべき事もなく、ブログがゆっくりと死に近づいているのを感じていた。

最近は「作業」という手抜きワードが便利なため、多用しているが、そこには、書く価値を感じないこと、自分以外の他者が関わっているので、勝手に書いてはいけないこと、自分の外に出したくないこと、単に書くのが面倒に感じること、公にしても特に面白くないことなど(一日中、寝ていた。等)、複数の事項が含まれている。誰かと会ったりどこかに行ったりした際にも、他者のことは、勝手に書かれることに不快感を感じる人もいるだろうから、安全を取って書かないようにするようにした。同様の考えから、以前は他者についてイニシャル表記などしていたところも、もっと抽象化した、「同僚と」「知り合いと」などを使用し始めているが、さらに削って、「人と」という表現に一本化しようかとも考えている。人と行動した際でも一人で行動していたかのように書く事もある。また、自分は現在、就労しているが、仕事についても基本的には書かないようにしている。

それらの事項については、内容を秘密にしたいというよりは、自分の場合、まともに全て書き始めると、通常では有り得ない分量の長文に突入してしまう恐れ、あるいは休日の全時間を使いかねない長時間の執筆に入り、それでも終了できずに結果的にどんどん面倒になっていくという可能性もあったので、それを防いでいる意味も大きい。

そうすると殆ど日記の体をなさないようなレベルにまで人生の情報量が削減されるので、最近は、帰宅、作業、アレコレを食べたというそれだけをひたすらループさせるような澱んだブログと化している。(情報量を削ったのは自分自身だが、それしか書いていないと、人生が本当にそれのみで構成されているように感じてくることが判明し、面白いとも思っていた。)

低速でも、もう少しこのブログは継続したいという意向が一応、あるので、何か別なコンテンツをたまには載せようと思い、意味はないが久しぶりに絵を描いた。

ただ意味のあるものは一切、描きたくなかったので、Processingを使って、画像共有サービスのFlickrから誰かの投稿写真を自動で4枚、取得するプログラムを書き、その4枚の画像を見ながら自分が適当に模写して色をつけるという作業を行った。取得する画像は、プログラムを走らせたときにFlickrに上がっている写真のうち新しい物から4枚を機械的に取ってくるだけなので、完全に偶然にまかせている。

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11時33分24秒。Flickrから取得した内容は、インド人男性の集合、何らかのミサの様子、ハイタッチする黒人バレーボール選手、風化した切り株となった。

flickr20150315101018flickr20150315101018--10時10分18秒。内容は、山肌と遠くに見える切妻屋根、PlayStation3のファイナルファンタジーXIIIパッケージを掴む赤子、China Airlineの航空機、自撮りのかわいこぶったアジア人女性二人となった。

作業中は、自分の意志でなく機械に作業をさせられているような感じになり、想定から外れておらず、悪くなかった。

Black square

職場の会合のためロンドン市内にいた。

_DSC0074 _DSC0056 _DSC0055会合後、Whitechapel galleryに行って「Adventures of the Black Square」という展示を見た。ロシアの抽象画家のマレーヴィチが金字塔的作品「黒の正方形」を発表したのが1915年で、そこから今年2015年までの間に、黒の正方形がどのように後世の作家に影響を与えてきたかをまとめた展覧会だった。

from Whitechapel gallery

St.Paul

St.Paul大聖堂のクリスマスイブ・ミサに行った。開始は4時からだったが、昼過ぎくらいに到着した際に既に数名が列を作り始めていた。まだ並ぶには少し早いと思われたので、大聖堂の横の喫茶店で様子をうかがいつつ休憩し、1時半くらいから列に並び始めた。非常に寒かったが、3時には扉が開き、建物内に入ることが出来た。_DSC9892- _DSC9894- _DSC9900- _DSC9897-_DSC9901-

礼拝は粛々と行われた。かつて目黒教会の礼拝に行ったことがあったので、だいたいの進行の感じは分かっていた。進行、読み上げる文言や歌などは全て配布される台本に書いてあり、それらをただ目と声で追っていくだけなので、誰でも簡単に参加することができる。自分は普段なんの信仰もなく、時折、観光目的で各地の教会建築等をみて、こうしてふらっとクリスマスのミサに参加している程の俗人なので、何らかの祈りが誰かかどこかかに届くようなことはない。ただ、巨大な空間、異常な装飾の量、人の数、歌の響く感じなど、意味以外のものに圧倒される感じがよい。理屈では自分はここにいる必要がないし、いてはいけないが、特別な空間で何らかが行われている様子を観察することも、面白く感じる。

夜は自宅近くのイタリア料理屋でチキン等を食べた。デザートに食べた、よくわからない、パンとプリンのはざまの様な食べ物がおいしかった。

Paddington bear, Battersea dogs&cats home

from paddington.com

Paddingtonという映画を観た。イギリスの児童文学のひとつで有名な「くまのパディントン」を実写映画化したもの。ペルーの山奥からロンドンへやってきた熊がロンドンでドタバタする話なので、ロンドンらしいロケ地が多く登場し、自分も何度も訪れたことのあるような景色のなかで、非日常的なストーリーが展開していくのが凄く面白かった。一年半、住んでいても、自分はよそ者であることに変わりはなく、熊の目線に近いのかもしれない。もっとも、このパディントン熊は、設定上、ペルーの山に住んでいた頃に、おばあさんグマから英語を教わっており、完全に流暢な英語を話せるので、コミュニケーション能力は自分より遥かに高いのだが…。

原作の絵 from paddington.com

更に午後はW氏の勧めでBattersea dogs&cats homeに行った。何らかの理由で飼い主を失った犬や猫を保護・収容している施設で、ここで次の飼い主と出会い、犬や猫達の新しい生活をスタートさせるための手厚いサポートをしている。ここを題材にした人気テレビ番組も制作されており、彼らが不遇な境遇から立ち直り、新しい家族に出会っていくまでがドキュメントされている。久しぶりに犬や猫と会い、視線を交わしたが、やはり動物はかわいいもので、普段ほとんど発動することはない、愛しいというような感情もまだ自分に残されていたことに気付く。ちょうど、1匹の黒っぽい子犬が、新しい飼い主のもとへ引き取られていくところで、里親となる子連れの家族、周囲の見学者、ショップスタッフ等、その場にいた全員が完全に朗らかな笑顔となっており、犬もチョコチョコと尾を振りながら、女の子にリードを引かれていった。

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この頃まだ、カメラがイラストモードになっていたのに引き続き、気付いていなかったため、写真がおかしい。

夜はピザを食べにFranco mancaへ行った。

Constructing worlds

Barbican Centreに行く。ここは二次世界大戦後に建てられたヨーロッパでも最大の集合住宅・複合文化施設だが、その巨大さと、あまりに重々しいコンクリートのブルータリスム表現のため、ロンドンの歴史的景観に合わないと、ここを嫌う市民も多いようだ。でも自分はここの荒々しくて分厚いコンクリートの感じを好ましく思っている。ここのものに限らず、基本的にやや経年劣化した分厚いコンクリート塊の感じが好きで、以前に観たノルマンディーのトーチカなどはそれらの最上位に位置している。

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ギャラリーでやっているConstructing worldsという建築写真の展覧会を観る。名建築の傑作写真展といった趣きでなく、バリエーション豊かで、王道的な建築のグラビア写真的なもの、無名の町並みと人々に焦点をあてたルポタージュ的なもの、建物を被写体に写真それ自体の芸術表現をもとめたものなど、もろもろあった。

from Flowersgallery

最後の方に展示されていたNadav Kanderという人の写真が面白かった。中国の地方のある河川を撮影したドキュメント作品というベースだが、いかにも記録写真らしい、リアルな感じを極力そぎおとしたテイストで、非現実的なイメージを重ねて、さらに霧の感じを誇張して中国の伝統的水墨画のイメージも重ねていた。リアルなものをリアルなカメラでアンリアルに撮らないと表現できないリアルな風景がアンリアルな絵画に似ているのがリアルで…というようにイメージにイメージを何枚も重ねまくりながら、作品自体はすっきりして何かメッセージを叫ぶような感じもないというのが、すごく現代の作家という感じがする。

from Lucien Hervé website

古典的なものでは、コルビジェの建物を多く撮影していたらしいLucien Hervéの作品などがあり、これは、光と影のコンポジションを美しく構成したかったのだな、とコンセプトが分かりやすい。あまりに上手いので、その画面から何か精神的なものを語ることは可能だろうが、基本は平面構成の妙に焦点があったと思われる。

更に、別室で行われていたWalead Beshtyという人の展示も見た。新聞紙とか空き箱とかのゴミに何か青い図像を転写したものを大量に並べてあった。

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帰宅時、サンタも帰宅しているのを見た。この他に十数名、いた。ビール等を片手に持ち、飲んでいた。

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