カテゴリー別アーカイブ: 旅行

Ashdown forest, Lewes

Hartfieldという村に行った。くまのプーさんの作者のA.A.Milneの別荘があった場所で、その村のすぐ南に広がるAshdown forestという森を舞台にプーさんの世界は描かれているらしかった。村の中にあったPooh cornerという各種プーのグッズを扱う店に併設されたカフェで食事、茶などを摂り、のんびりとした感じの良い時間を過ごしたのち、その森にも行き、小高い丘の上から森を眺めた。歩いていて、非常に気持ちのよい場所だったが、プーさんを読んでいないので、自分にはこの森が他の森とどう違うのかは、分からない。読んだ人のみ、本来ここに存在しないはずのものが見え、あの熊がここに居るように感じるのだろうが、今から自分がそれを読んでも、もう熊をここに感じるレベルの感情移入は難しいだろうとも思う。子供のころにそれに魅了される必要があるが、時間が戻ることはない。

_DSC5074- _DSC5075-

その後、更に南下し、Lewesという街にも行った。かつて一度だけ訪れたことのあるところだが、その時は夕方に来たので、ほとんど全ての店が閉まっており、また冬だったために辺りも暗く、ただ、行ったというだけで、その街を楽しむところまではいっていなかった。今回はルイス城などにも入ることができた。

_DSC5082-

城の塔から街を見下ろすと、町並み全体が想像以上に赤かった。

_DSC5080-_DSC5093- _DSC5094- _DSC5098- _DSC5103-また城の庭のようなところでは、仮設テントを用いて何らかのパーティーが開かれていた。何故かゲートボールのような用具が設置されており、ボールや、ポールのカラフルさが美しい感じがした。Wikipediaによると、これはクロッケーという球技で、日本のゲートボールの原型になったものらしい。確か、日本のゲートボールのボールは単調な紅白の2種類であり、ポールは、味気ない単なる巨大な鉄釘に等しい無骨な灰色の鉄棒だったと記憶しているが、日英を比較して、何か大切なものが失われている気がした。遊技ではなく競技としてのゲートボールを志向した結果が、あのストイックな紅白ボールと鉄釘ということなのかもしれないが、用具の魅力が全く無い。日本中に多く分布しているゲートボール愛好家は殆どが老人であるはずだが、ナンバリングされたゼッケンを身につけた老人が集まって毎日、紅白の球を工業的な鉄釘にコツコツ当てているというのは、視覚的に退廃的すぎて、かなしい。

ルイスをひととおり散策して楽しんだ後、帰宅した。帰宅後はNew Maldenの韓国料理屋に行った。入ってみたらほとんどカラオケ店で、その一角がレストランになっているという風の謎の店だった。味は問題は無く、おいしかった。

Cornwall 02

Eden Projectというフラードーム的な球状の温室の集合体で形成された植物園に行く。設計はニコラス・グリムショウ。球が六角形で分割されているから、三角形の分割のフラードームとは違うのかもしれないが、よく知らない。前情報では、球の中に高低差があって、気圧差、気温差を生み出して、それに応じた植栽を植えている、と聞いていたが、特にそのようなことはなく、意外と普通の温室だった。

_DSC4904 _DSC4883

エデンプロジェクトは割と早々に引き上げ、St.Michael Mountへ行った。到着したときはまだ満潮時で、島への道は完全に海の中だったので、いったん連絡船を使い島に上陸した。

_DSC4922 _DSC4921

城の城壁にて、大砲にまたがる人。

_DSC4930 _DSC4936

城からの眺めはさすがに非常によく、天気も問題なく晴れていたのでかなり気持ちのよいものだった。城自体も、小山の上に建っているからなのか高低差のある内部空間で、入り組んでおり興味深いものだった。

_DSC4941 _DSC4990_DSC4945_DSC4974

城から出る頃には潮が引いて、道ができていた。景色が劇的に一変するので、驚いた。_DSC4980_DSC5008カモメと、後ろを往く人間の集団。

夕方発の電車でロンドンまで6時間近くかけて帰った。コーンウォールは短い小旅行だったが、イギリスでも有数の人気観光エリアというのがよく分かる本当に風光明媚なところだった。今この日記は、後日になって駆け抜けるように一気に書いているので、多くは書かないが、特にSt.Michael mountは美しく、行けてよかった。自然と人工物のバランスがすぐれている。

Cornwall 01

昨日フィンランドから戻ったばかりだが、今週は更に、畳み掛けるようにコーンウォール地方への旅に出た。昨夜、夜行の寝台列車がロンドンを出発し、朝になったらイギリス最西端のあたりのペンザンス地方に着いているという算段で行った。

_DSC4742

イギリスのモンサンミッシェルと呼ばれる、満潮時には完全な孤島となる島に建つ城、St.Michael mountが見えた。

_DSC4747

Minack theatreという断崖絶壁に自力建設された劇場を訪れた。これもフランスのシュヴァルの理想宮のように、とある女性がたった一人で建設を始めたものらしい。

_DSC4796

晩年のその人。一輪車に座っているというのがとても良いと思う。_DSC4780 _DSC4789

場所を変えイギリス最西端の碑の建つLands Endへ行った。地名がそのままなのだが、そういう地名の場所。どこかのファミリーが有料の記念撮影をしている様子を更に撮影し、満足を得た。

_DSC4807

自分の知っている場所では北海道の万座毛に近い。_DSC4816

更に移動しSt.Ivesへ。知らなかったが、ここにもテート・ギャラリーがあり、この地は20世紀初頭に、抽象芸術の前衛達の集まる芸術村として栄えたらしく、モンドリアンなども頻繁にここを訪れていたらしかった。_DSC4827 _DSC4838 _DSC4856

既に気温は割と寒かったが、St.Ivesのビーチはまだ人でいっぱいだった。

いったん宿にチェックインし、夕食に少し離れたPadstowという町にあるStein’s Fish & Chipsという店に行った。同行のW氏が見つけてくれたもので、イギリスで一番おいしいフィッシュアンドチップスという評判らしい。シェフの人は相当な著名人らしいのだが、この地方の魚しか信用していないらしく、ロンドンなどの都会に店を出すことはしていないという。店にはかなりの行列ができており、30分以上待って、入ることができた。確かに非常においしく、明らかにフワフワ度が今まで食べてきたものとは違う気がした。

_DSC4866

Finland 03

フィンランド最終日となり、見れていなかった美術館など一気に見た。おとといの月曜日に、一度観に行こうとしていたのだが、月曜日はほとんどの施設が休館日ということを知らず、やむを得ず断念したところへの再訪だった。

キアズマ美術館。マリメッコとフィンランドの若手作家のコラボレーション的な展示をやっていた。_DSC4722 _DSC4728アテネウム美術館でもトーベヤンソン展をやっていた。こちらのほうが、先日見たムーミン谷美術館に比べ、氏の生涯に焦点を当てた、より網羅的なもので、ムーミン谷博物館の所蔵品の多くもこちらに来ていたようだった。しかしどの絵画よりも、やはりムーミン関連のペン画の出来が突出しているように思えた。個人的には、割と視点を引いたロングショットの絵の多くがよいと思った。微妙な距離感で、遠くで何か変なトロールが何か必死にやってるという、アリの観察箱を見るような上位概念からのやや冷たい視線がある気がした。そういう、人ならざるもの達の所業だからこそ、ムーミンの物語がユーモアと真理をもつのかもしれない。

Talin

ヘルシンキからフェリーに乗ってエストニアのタリンという町に来た。タリンは旧市街という保存地区が世界遺産に登録されており、古い石畳の町並みが期待どおりのファンタジー感を出しているきれいな町だった。

_DSC4675 _DSC4697 _DSC4708ヘルシンキータリン間はフェリーで2時間半程度で、多くのヘルシンキの人々が日帰りでタリンにやってくるという。タリンは物価が結構安いらしく、特にビールがヘルシンキと比較して異常に安いらしく、帰りのフェリーでは多くの客がカートを引いて、大量の箱買いしたビールを搬入していた。自分は土産用に箱入りのチョコレートを買ったが、それも何かが間違っているような安さで驚いた。

Finland 02

_DSC4610

VRというJR東日本に似たマークを持つ列車に乗ってTampereという町に移動した。

_DSC4612 _DSC4626

カレヴァ教会という建物を見たのちに、街中をフラフラと歩きながらムーミン谷博物館に行った。今年はムーミンの作者のトーベ・ヤンソンの生誕100周年にあたる年で、各地で多くのイベントが開かれているという。なぜか写真を一切撮らなかったので、何も載せるものが無いが、多くのムーミンの原画があり見応えがあった。特にムーミンに深い思い入れがある訳ではないが、単純にあのヌルっとした造形は好みではある。冷静に見ると明らかにグロテスクな形状をしているにもかかわらず、紙一重でかわいくできるというのは北欧および日本の専売特許という感じがある。かわいさが、奇形から発生するので魅力的になる。

_DSC4660その後、町を一望できる塔、その下にある北欧で一番おいしいというふれこみのドーナツ屋、などに行き、割と夜遅くの電車でヘルシンキに戻った。ドーナツはシナモンが生地に練り込まれたもので、非常に優れていた。シナモンという食材は時折、自分が手を出しては行けないと感じるようなオシャレ感を出していることがあるので恐ろしいものの一つだが、久しぶりに食べると非常においしく、やられた。

Finland 01

フィンランドに旅行に出る。一日目はヘルシンキについてすぐFLOW festivalという音楽フェスに行った。ヘルシンキ中心部からそう離れていないところにある元火力発電所跡地で開催されていた。入場者数は約2万人とのことで、ヘルシンキの人口が60万人くらいなのでかなりの人数がここに集結していることになる。良い演奏が多く、かなり楽しめた。

_DSC4378 _DSC4397

翌日からは市内散策およびアアルトの建物などを見た。写真を適当に貼る。

アカデミア書店

_DSC4451

アアルトスタジオ。現在でもアアルト財団のオフィスとして使用されており、アアルト建築の修復やリノベーションなどを手がけるために数人の建築家が仕事をしている。

曲線的なドアの取手。アアルトの建物の多くに登場する。

_DSC4454

照明の多くも、シリンダー形状の組み合わせのバリエーションでできている。

_DSC4455 _DSC4462 _DSC4479 _DSC4483 _DSC4491

色彩は基本的に白く、それに家具の木目と光がきれいに映える。

_DSC4496 _DSC4497 _DSC4498 _DSC4500 _DSC4501 _DSC4503 _DSC4520

さらにアアルトの自邸にも足を運んだ。曲げ木のディティールが随所にあるとはいえ、基本的には幾何学的な構成なのに、光の入り方がとにかく優しく柔らかく、落ち着く。圧倒されるみたいな強い空間表現があるわけではないし、何らかのコンセプチュアルな理論を感じるわけでもないが、とにかく空間の質がよいと感じる。体験しないと分からないという意味で料理や音楽に近い。そういう根源的な質を、幾何学図形で目指そうとした20世紀初頭の美術運動は、ピュアで、やはり良い。ここが暮らしやすいのかどうかは、知らないが、美しかった。

_DSC4532 _DSC4544 _DSC4547 _DSC4559 _DSC4561 _DSC4562 _DSC4564 _DSC4569 _DSC4580

Turner contemporary

_DSC4281 _DSC4277

Margateという町にあるTurner contemporaryに行った。Mondrian and colourという展示をやっており、モンドリアンの初期の風景画や人物画など、あまり見たことのない作品が多く展示されていた。初期の風景画などは全く特徴のないものと言ってよい。何度かの中間地点は経ているが、例のモンドリアンスタイルへは結構いきなりジャンプして到達している感がある。単に積み重ねでたどり着くのでなく、いきなり謎の飛躍がある。

デ・ステイル結成後の絵は潔癖にコンセプチュアルなので、例えば、今まで絵を全く描いたことのなかった哲学者がいきなり描き始めた絵ですと言ってくれた方がまだ腑に落ちる。あのスタイルの確立後は、ロシアの社会主義の流れを受けて、「芸術は自己表現であってはいけない」という、背景を知らないと不思議に聞こえる考えを示していたとされるモンドリアンだが、その表向きの芸術家としてのポーズ以外にも、やはり皆と同じように、素朴な風景画を自分のタッチで描きたいという裏の姿があったのかと思うといっそう興味深い。

from Turner contemporary website

from Turner contemporary website

その後、近くにあったShell grottoとかいういつ誰が作ったのか全く謎という貝殻洞窟を見て、さらに近辺の浜辺などをフムフムと見て帰宅した。

_DSC4292 _DSC4293 _DSC4295 _DSC4296 _DSC4302

William Morris gallery / Red house

昨日に引き続き、モリス関連の施設をまわる。ロンドン北東部にあるWilliam Morris galllery、および彼の仕事場だったロンドン南部にあるRed Houseに行った。どれも内部写真が無いので、ただ外観だけしか記録が無いが、どの施設も充実した展示で興味深かった。モリスギャラリーの方は豊富な資料で、知識としてモリスを知ることができ、レッドハウスの方は、当時のままの空間がそのまま残されているので、体感としてモリスを知ることができる。

_DSC4118 _DSC4120 _DSC4123

ケルムスコット・プレスでモリスの作った3つの書体の見本なども置いてあって、興味深かった。またモリスの妻ジェーンと、友人の画家ロセッティが、退屈なケルムスコットマナーで不倫関係になって心にダメージを負ったモリスがアイスランドにセンチメンタルジャーニーに出て、そこでまた今までに無かったデザインの啓示を受けるあたりの資料など、知らなかったものも多くあり楽しめた。

_DSC4127 _DSC4128 _DSC4131 _DSC4133 _DSC4137

Kelmscott Manor

W氏と話していてWilliam Morris系の施設を一気に行くという話になり、この土日をかけていくつかの施設を訪れた。

この日はオックスフォードよりもっと西に行った農村部にある、モリスの別荘ケルムスコット・マナーに行ってみた。モリスが家族と、家族ぐるみの友人の画家ロセッティと過ごしたところ。内部写真が取れなかったためにあまり写真が無いが、ところどころモリスデザインの壁紙や、家具があるものの、全体的には非常に簡素な、素朴きわまる家でとても良かった。

モリスのデザインは、テキスタイルや晩年の超装飾的なケルムスコット・プレスの書籍などから、わりとデコラティブで華やかなものというイメージがあったが、自身の住まいは想像よりずっと、モノがなかった。

たしかにモリスの考え方の根元にあるのは、ジョン・ラスキンなどの自然をとにかく崇拝するという考え方であると、学生の頃、習ったので、ものに縛られて時間に追われる暮らしでなく、ただ自然の中でゆっくりと暮らすことが美しいと心底思っていたのであろうことはよくわかった。モリスの好きだったというバイブリーという田舎町にも以前、行ったが、そこも似たような印象だった。

ただ、そのレベルにまで精神的に成熟するのは、普通の人には難しい。当時すでに世の中は大量生産と大量消費の近代化の最中だったので、その中ではこういう素朴な暮らしぶりは、凄まじく退屈に映っただろうし、受け入れられにくかっただろうと思う。退廃的とさえ思われたと思う。

_DSC4098_DSC4100_DSC4096_DSC4095 _DSC4087 _DSC4088

ただモリスはデザイン力が突出していたので、自然を写し取ったきれいな家具や壁紙を作って、まず人々の意識をなんとか変えようと思って、例のアーツ・アンド・クラフツ運動をはじめた。

結果的にその仕事は成功したが、モリスの家具は高額で、一部の金持ちしか買えなかった上に、ファッション的なトレンドと化し、皆、そのモノ自体を所有する欲にとらわれてしまい、ほぼ誰も、美しいカントリーサイドを愛する、というモリスが望んだ精神レベルに到達することはなかった。

モリスはモリスで、仕事が成功しすぎたあまり、死ぬ程、忙しくなって、自分の本当に好んだという生活スタイルからは遠ざかっていく。

それでもデザインと社会活動をやめずに最後まで、狂気をもって尋常でないクオリティの作品群を生み出し続けたことは凄まじい使命感だとは思う。

_DSC4094

このケルムスコット・マナーは、非常にいい感じの雰囲気で、何か癒される感じがあったが、なんとなく、モリス氏の疲労が全てここに堆積しているような気もした。

その後、周辺にあったいくつかのコッツウォルズの町を巡って、帰宅した。

_DSC4105 _DSC4109