抹茶

今日は帰宅途中に田丸というラーメン屋に寄ってラーメンライスセットを食べた。この店は素朴なおいしいラーメンが600円で食べられるので良い。ラーメン一杯が800円を超えるのが普通になったのはいつごろからだっけ…

今日は避けられない単調作業をやる必要に迫られたため、音楽を聴いて気を紛らわしながら作業をした。Godspeed you black emperor(という重鎮のポストロックバンド。明らかにかっこ悪い名前は日本の暴走族から取ったという。)が昨年秋に、10年ぶりに出したアルバム’Allelujah! Don’t Bend! Ascend!の全曲リピート再生3週目が終わりかける頃に、作業は終了した。

中目黒

来週に弟の住む東北へ両親と行くことになっているので、防寒性能の高い上着を探しにどこかに出かけようと思った。ネットで見て目星をつけ、中目黒にある店に行ったが、これといったものはなく、ラーメン屋に寄って帰った。ラーメン屋は「食べログ」で見た三ツ矢堂製麺という店…ゆず風味のつけ麺でつけ汁はおいしいと思ったけれども、自分にとっては麺がぼそぼそしているように感じられた。

食べログといえば、PLANETSという雑誌に載っていた、川口いしやという人の、『「食べログ」の研究 —レビューサイトがもたらした「食文化」と「都市」の風景—』という記事が面白かった。このPLANETという本の今回のテーマの一つには、「東京において、地理と文化が結びついていた時代は終わった、では次の時代の東京の文化はどう育ちうるのか…」というものがあって、この食べログの記事もそのテーマを食文化側から考察している。

かつて東京では、寿司なら銀座、焼き肉なら新大久保、というように街と食ジャンルが強くリンクしていた時代があった。この時代、食文化とは土地を楽しむものだった。(一部のジャンルは未だこの関係は残っていると思うけれど…。)

雑誌文化が花開いた8,90年代には、女性同士ならこの店、デートならこの店、というように、用途やライフスタイルによってレストランが紹介されるようになった。とはいえ、この頃は、雑誌○○を読む○○な人は代官山に集まり、雑誌■■を読む■■な人は六本木に集まり、と、雑誌が描いていたライフスタイルはまだ街に結びついていて、街が、同じ経済力や同じ嗜好の人を集める求心力を持っていたから、まだ食文化は街とは切り離せないものだったと思う。この頃の食文化とはステータスやライフスタイルを表すものだった。

この記事は、その後の、ネットコミュニティ発達以後の東京、「食べログ」以後の東京の食文化について、食べログのレビュアー会員へのインタビューを通じて追っている。著者は、人が、「食についてどのように語れるのか」を調べることで、いまの食文化がどうなっているのかを探っている。

歴史的な地理性や、前置きの情報など全く関係なく、食べログはピンポイントでレストランと人をつなぐ。今まで無かった、食を、地理やライフスタイルから切り離して語れる場所が発生した。つまり、雑誌文化では、話題性のある、記号性の強いレストランしか語ることができなかったが、食べログ文化は、話題性もないしおしゃれでもなく立地的なステータス感もない、けれども優良なレストランだったり、味も平凡でこれといった特徴もないが、日常的に「使いやすい」レストランなどを語ることを可能にした。また、既知の有名店についても、余計なステータス感を付加する雑誌的な広告文章でなく、一般人の視点での素直な感想で語ることを可能にした。

また、その語り口も、古参のユーザーこそ、「美味しんぼ」の山岡士郎的な、朗々と食の意味を語り、説いていくようなスタイルだったものが、徐々に、新規ユーザーを中心に、「孤独のグルメ」の井之頭五郎的な、食べているその瞬間を写真とともに、短文で「実況」するというスタイルに移っていっているという。食べログでなくとも、twitterなどで、食べ物の写真に実況のひと言を添えてアップする人は本当に多い。

いずれにしても、食についての語り、つまり食を通じてのコミュニケーションする機会が飛躍的に増え、またその語り方もより自由になったことは確かなようで、この記事に明確な結論めいたものは書かれていないが、いまの食文化とはコミュニケーションの手段のメインストリームのひとつとも言えそうな気がする。

自分は正直なところ、食に強い関心がなかったので、食べログも完全になんとなく見ているだけだったが、この食べログ研究記事は、今までの東京の食文化や、街とライフスタイルの関係、コミュニケーションの変化など、興味深く掘り下げて書いていると思った。

イカセンター

今日は勤務後に会社の同僚の方々と飲みに出かけた。渋谷にあるイカセンターというイカづくしが有名な店だった。透き通るほど新鮮なイカの刺身などを食べた。そこのイカは、くちゃっとした歯ごたえでなく、コリッとしていた。

店を出た後、広尾に場所を変えてデザートなど食べた。非常においしいミルクレープだった。

その後、広尾から歩いて帰宅。携帯電話をスマートホンに変えてから、地図が見られるので、多少、遠くても歩いて移動することが多くなった。普段、歩かない道を歩くのはそれなりに面白く、また、10年近く東京に住んでいながら、頭の中に東京の地図がほとんど描けていないことにも気付かされる。

スマートホンは、便利だろうなと思いつつ、どうしても変えたいという理由が見つからず、2、3年放置していたのを、昨年末やっと変えたものだ。変えてみてしまえば、なぜもっと早くに変えなかったのかと思われるほど便利なものだった。足踏みをし続けているあいだに、多くの時間が過ぎた。

表参道

夜に、以前、シンボルマーク作りを手伝わせていただいた方と表参道で待ち合わせて会った。もろもろ話しをし、11時過ぎに帰宅した。

その後、このブログをスマートホンで見た時の文字サイズなどを調整するため、少々CSSに手を入れた。

翡翠原石館

今朝は、雪のための電車運行本数減と人身事故で電車が完全に止まってしまった。会社のひと駅前までは到着していたので、散歩がてらひと駅歩いた。芯にひびく寒さで、傘を持つ手の感覚がすぐ無くなってしまった。

歩いている途中に、偶然、品川の原美術館のすぐそばに、翡翠原石館という謎めいた美術館を見つけた。おそらく私設の美術館なのだと思う。調べたわけではないけれども、私設美術館に特有の、なぜこんなところにこんな施設が、という唐突感と、誰に呼びかけるでもない独特の孤独感があったので、多分そうだと思った。

仕事を終え、帰宅した後はしばらく音楽を聴いていた。最近SONYのMDR-1RBTというワイアレスヘッドホンを買ったが、これが想像以上によい。生っぽい気持ちの良い音がするので、昔よく聴いていた曲などをふたたび聴き直していた。

新しいメモ

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ひとつ前のブログ(2011-2012)は記事が画面全体にばらっと散るようなデザインのものを採用したが、複数カラムになっているために、記事を一気に読むときに、ひとつの画面の中で上下に行ったり来たりしなければならないのが嫌だったので、今回のブログはシングルカラムにした。特に凝ったことももうしたくなかったので、ブログエンジンWordPressのデフォルトテーマ「Twenty Twelve」をベースに、余計なものをコリコリと削ったデザインにした。

写真はカスタマイズ前のTwenty Twelve。

サーモントラウト

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クリス・アンダーソンの「MAKERS」を読んだ。3Dプリンタや切削器、レーザーカッターなど、高価だった産業用の製造機器が、どんどん一般大衆に開かれていったことと、ニッチなニーズを汲み上げられるネットの発達によって可能となった、21世紀の産業革命とも呼べる次世代のDIYムーブメントやベンチャービジネスについての詳しい事例が数多く載っている。

このクリス・アンダーソンという人は、もろにヒッピームーブメントに傾倒していた人らしく、この本からは、製造業の未来を語るという以上に、数々の楽しいニッチな起業事例を紹介しながら、「普通の人が、好きな仕事だけをやって、好きなように生きていける時代がやってくる」ということを強く言っている。そのテーマは、70年代に、レイモンド・マンゴーが「就職しないで生きるには」という本で主張していたことと通底しているように思えた。

「就職しないで生きるには」を自分は就職してから読んだが、この本は、ニート的な働かない生き方の指南書ではなくて、自分だけの仕事を見つけて、自分で考えて働くことができれば人生は自由に楽しくなるという事を言っている啓蒙書で、作者が職に何度も失敗しながらも、自分のペースにあった仕事を自ら作り出していく過程のことを書いていた…。この頃はネットもなく、ニッチなニーズは簡単には見つからないし、やりたいアイデアがあってもそれを具現化したり人に知ってもらう手段がなかった。でもMAKERSの時代にはそれが出来る基盤がもう整っている。「MAKERS」では、自分が楽しんで働けるやり方で、生きていける人がもっと増える社会が、ユートピアではなく、現実になる期待に、この作者が凄くワクワクしている感はよく分かった。この本を読んで、よしと飛べた何人かの人はそちら側に行けるだろうと思う。この手の本を読んだ直後は気分が高揚していたはずなのに、時間が経つとそれが挫折感にすり変わっていた事が何度あっただろう。

ドコモ定食

正月に見た、格差と働き方の番組の中では、木暮太一という人がこんな事を言っていた。
・雇用制度がぶっ壊れきった現状、単一企業にずっと養ってもらえるという考えは幻想でしかなくなってしまった。それではダメだということで起業や転職の関心が高まっているが、多くの普通の人にとってそれはリスクが大きすぎる。
・問題なのはシングルインカムに頼った生活をすることなのだから、結婚以外のリスクヘッジの方法として副業の在り方を考え直すべき。今すぐ起業、とかでなく、10年くらいかけて自分のセカンドジョブを育てていける働き方はできないか。
・人は1年でできることを過剰評価し、10年でできることを過小評価する。10年かければセカンドジョブは育つ。
(この人が言っていたセカンドジョブという単語は初めて聞いたが、週末起業の延長のようでありつつ、主業と副業でなく、どちらかにプライオリティをおかずに、単純に、2つめの仕事という意味のようだ…。)

話のおおまかな筋は納得できる。もしそういう流れが主流になれば、おそらく働く上での態度も変わってくると思う。一般に、多くの企業人は、低評価や解雇を恐れて、会社や上司に対して「本当に言いたいこと」や「挑戦的なこと」を言わなくなる傾向にあると言われている。特に伝統的な日本企業だと、そのリスクを取らなくても会社はなんとなく回っていくので、リスクのバランスを考えると、その選択をしないという人が多いという結果に対して、何ら不思議なところはない。でもダブルインカム状態にある人は、ある程度保険が効いている状態にあるので、ひるまずに何かを言えるようになる可能性はある。
これは単に収入面だけではなく、精神面にもあてはまり、例えば会社活動とは別に、独自に芸術活動などを行っている人など、アイデンティティの置き場所を2カ所に分散できれば、片方でうちひしがれても気持ちが壊れずに済むかもしれない。

失うもののない裸一貫で突っ込んでいける人間は確かに強いが、それを出来る人は限られているので、もっと多くの人に可能性の開かれる、2つ3つの堰を持つ生き方を模索しましょうという話だったように感じた…。これからどう生きるか…。

ポリ

正月の深夜にニッポンのジレンマという番組を観た。30歳代の若手の社会学者とか批評家などが集まって話し合いをする番組で、議題は「格差を超えて 僕らの新たな働き方」というものだった。最初はなんとなく眺めていたのだが、とても面白く、最後まで観た。

宇野常寛氏が話していたエピソードが一番強く印象に残った。氏はかつて会社で働いていた頃、交渉して週休3日にしてもらったらしい。最低限生きるための収入を得、3日の休みは研究活動に充てていたという。これは面白い働き方だと思った。週の中で働く時間をコントロールするには、フリーターという選択肢しかないと思っていたが、「交渉してみたらできた」という事で、正規に働きつつ、研究時間も確保した行動力に目から鱗が落ちた…。