カテゴリー別アーカイブ: 美術

Sigmar Polkeなど

from Tate Britain website

Tate BritainにLate Turner展(ターナーの後期の作品を集めた展覧会)およびTurner Prize 2014展(今年のターナー賞受賞作品の展示会)を観に行った。

Tate Britainには常設の充実したターナーの展示部屋が既にあるので、Late Turner展で初めて観た絵でも、特別、未知な何かを観たという気にはならなかったが、後期の、殆ど抽象画に近い淡い光の絵画群は、いつみても凄まじいきれいさだった。水彩のスケッチも多く展示されており、水彩だとあの淡い光の感じが更に素朴な感じで出ていた。完成品の油彩になると、少しドラマチックすぎると感じることもあるが、水彩だと、ほど良くなる。

from the Guardian website

Turner Prize展のほうは、Ciara Phillipsというシルクスクリーンを用いた巨大なプリントを部屋中に敷き詰めた作品が良かった。他のものは良くわからなかった。わりとサクサクと見て、部屋を出た。

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会場を出たところには、来場者がこの展示会へのコメントを書き込むボードがあり、面白いことにそれぞれのコメントに対して、全てTateスタッフによりレスがつけられていた。最も大きく太い文字サイズで書かれていて、目立っていたコメントは、「MUM I AM GAY!!」という展覧会に一切関係ない叫びで、それに対し、「誇りを持て、皆にシェアしろ」というレスが書かれていた。

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更にTate Modernに移動し、Sigmar Polkeの回顧展を観た。

from Tate website

Alice in wonderland from the Guardian website

基本的に何かの上から何かを描くという手法を好んでいたようで、既成の布だったり、写真だったり、あるいは透明なフィルムだったり、ビデオだったり、あらゆる素材に落書きのようなスケッチを書きなぐりまくった生涯だったようだ。この人の展覧会は、数年前に上野でみたことがあったが、その時の展覧会は上の「不思議の国のアリス」という作品を中心に構成されていて、キッチュなパターンやドット柄、ちょっとかわいい色使いなどの印象が強かったので、何か幻想的な作風の作家なのかと思っていたが、どちらかというと確信犯的なポップアートに近い、ひたすら視覚的ショックを追い求めた奔放な作風だったようだ。当時、そのような作家は他にも大量にいたと思うが、多くの場合、きれいな芸術からの反動で、汚く重い画面を作りがちだったトレンドの中で、この人はやはり色とパターンの選択のセンスが洒落ていたため、「無邪気な人」という最も自由で便利なポジションにいられたのではないかと思われた。

テムズ川周辺はクリスマスマーケットが多数、出ており、多くの人で賑わっていた。自分は特に何も買う物は無かったが、様々な人がそこかしこで楽しそうにお菓子を買ったり、ピクルスを買ったり、飾り物を買ったり、何か木彫りのカゴのような物を買ったりするのを、しばらく眺めていた。

_DSC9750- _DSC9752- _DSC9753- _DSC9756- _DSC9769-昔、高田渡が良いことを歌っていた。「見えるものはみんな人のものだよ 」

Fondation Louis Vuitton

出張のためパリに来た。時間の合間をぬって、以前、工事中に一度みたゲーリーのルイヴィトン財団美術館が先週オープンしたので、無理矢理それを見に来たが、時間が全然なく、今回も外観を眺めただけで終わった。白っぽい乳白の曲面ガラスがやたらと上品にぬめっていて、攻撃的な形なのに存在感が繊細で、全体的に軽そうで美しかった。乳白色という微妙な存在感の色が、ここまで大きく建築物をおおっている例というのを他に知らない。ちなみにこの美術館の開館を知らせるポスターが街中にたくさん貼ってあったが、マグリッド風な抽象的風景の中に、建物が船のようにフワッと浮いているというもので、やはり皆、あの建物がSFのように軽やかに飛び立っていくように感じるのだと思う。

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新凱旋門のあたり(La Défence地区。パリ市内では建てられない不思議な造形の高層建築が集積しているビジネス地区。)にも少し立ち寄った。新凱旋門(グランダルシュ)に初めて近づいたが、異常なサイズ感、異常なジオメトリック感で面白かった。

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パリ市内とラ・ディフェンス地区の比較画像。

from Wikipedia

 

Richard Tuttle

髪を切るために外出、その後、Brick Laneにあった適当なインドカレー屋に入った。何か素早く食事を済ませたかったので、テイクアウト系の店で店内でも食べれるような感じのところに入った。ガラスケースの中に並んでいたカレーを選んで、お金を払うと、ご飯とルーが皿にさっと盛りつけられ、それらは目の前で電子レンジに投入し加熱された。店内も、まるで倉庫のようだったが、むしろ簡素さは好ましくもあり、落ち着いた。味もとても美味しかった。(そもそもこの手のインドカレー屋は、どんな外観だろうが外れは殆ど無いのは知っていた)

その後Whitechapel GalleryでRichard Tuttleというアメリカのミニマリズムの作家の展示を見た。糸くずや針金、布の切れっ端など、日常的な、凄まじくどうでも良い物を素材として、簡素なコンポジションのレリーフ、彫刻群を作っていた。強い主張をもつ要素が一切ない雰囲気が、同じく紙くず、針金などで構成された北園克衛のプラスティック・ポエムに似ていた。北園克衛の時代では「プラスティック」という外来語は「造形」という意味で使われていたようだが、現代にあっては大量生産品のイメージが強い。自分も最初にそれを聞いたとき、人工的な詩、という意味なのだと思い、全然、芸術らしい生命力がないのにやけに美しいその作品群にぴったりなネーミングで、すごいなーと思った記憶がある。ポエジーというのはおおよそ孤独への共感のことだと解釈しているけれども、死んだように主張がなくて、人工的で、意味ない日用品からすら孤独を掘り起こそうとするミニマリストたちは病的で本当にきれいに見える。

Richard Tuttleの作品 from Web

Richard Tuttleの作品 from Web

北園克衛のPlastic Poem from Web

Cuneiform

Whitechapel galleryにKader Attiaという作家の作品を観に行った。写真が撮れなかったのだが、合わせ鏡と本棚を使った作品で、図書館が無限に続いていくような空間を作っていた。見た瞬間におやと思ったのだが、おそらく同じ作者の、殆ど同じ作品をどこかで一度見ている気がした。記憶では場所すら同じWhitechapel galleryだったような気もするが、定かではない。

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ギャラリー内の本屋で、「Digital Cuneiform」(デジタルのくさび形文字 著:John Bergerhausen)という本を見た。くさび形文字をデジタルフォント化する試みについてまとめた本で、今まで完全にはデジタル化されていなかった全1063種のくさび形文字を網羅することで、世界中に散らばるおよそ50万個の粘度版に刻まれた文章を、電子的に交換、保存、アーカイブ化できるようになるという。全世界の文字を網羅しようとしている文字コード規格のUnicodeでは、既にくさび形文字ひとつひとつに識別番号が与えられていたが、それに対応した共通のデジタルフォントがまだなく、表示させる手段が今まで無かったらしい。各国の研究者や研究機関のデータの収集や交換がこれによってスムースになり、解読も進むようになるようだ。。

from Slanded website

今日は久しぶりに外に出た気がした。今日は食べ物をあまり摂っていなかったので、スーパーに寄ったが、何を食べて良いのか分からなくなり店内で右往左往して、最終的にカレー等を買って帰宅した。以前に人からもらった抹茶があったので、大量にゴブゴブと飲んでいたら手が、少しカタカタと震え始めた。抹茶に含まれるカフェインの作用か、それともたまたまで因果関係はないのか、知らないが、食べたものがすぐ体に作用するのは不思議なものだと、思った。

TENT London

今日も昼過ぎからデザインウィーク関連のイベントを回った。Shoreditch design triangle関連、TENT London、など主要なところを回った。

これらのデザインイベントが、もう正直あまり楽しくない。もっと満たされるようにやばくきれいな感じのものは、他の場所にあるのだろうということも、分かっている。たまたまTENT Londonのイベント会場で知り合い数名に遭遇して、そのとき一部の人と、とても面白いものがたくさんですね、刺激を受けますという会話を交わしたが、全て嘘だった。

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Narrative

日本から同僚氏2名が来ており、彼らとロンドンのデザインイベントを回った。今週はロンドンのデザインウィークという期間で、各地で多くのイベントが催されている。

朝、待ち合わせのホテルに行き、出発しようとしたところ、ホテルから(ビートルズで著名な)Abbey Roadが近いので行ってみようと言う提案があり、デザインウィークよりそちらのほうが俄然興味深かったために、ぜひということで、まずそちらに行った。

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これが例のアルバムで有名なアビーロードスタジオ前の横断歩道で、この日も多くの観光客がひっきりなしに渡っていた。

from Wikipedia

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ちなみにアルバムジャケットでは、ポール・マッカートニーのみが裸足で歩いており、上の写真の男性は、それを再現し裸足で渡っていた。交通量の多い道、かつ信号が無いので、交通事故も多く発生しているという。特にアルバムジャケットを再現するためには、道路の中心から撮影しなくてはならないため、非常に危険を伴う。また、今日しばらく人々を見ていて思ったが、渡る人数が少ないとあまり面白くない。

その後Design Junctionというイベントに行った。多くのデザイン雑貨や家具などが出店されていた。魅力的なものが多くあったと思うのだが、昨今、自分はそういうものに対して極力、何も感じないようにマインドコントロールを続けていたせいか、本当に何も感じなくなってきてしまった。それが魅力的な一点ものであればあるほど、自分から遠く感じる。

対して、何か完成された品物でなく、風変わりなものを生み出すプロセスとか手法自体を、作品として展示しているような人々がおり、そちらのほうに興味を引かれる。プロセスが単純で安いのに出来上がる形が異質という状態が非常に具合が良く、1点もののような顔をしていながら、その実、安く、壊れたらすぐに交換できる存在に過ぎないという軽さが、落ち着く。

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ちなみにこのような考え方、感じ方は、自分の特異的な症状ではない。主流ではないかもしれないが、マイナーでもないくらい多くの似た考えの人がいるはずだ。

その後、昼食を食べ、RCAのサスティナブルデザインの展示なども見て、日本に帰国する同僚氏たちを見送って、帰宅した。

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展示品の一部に、テムズ川地下に、牛の屠殺場とその肉を供するバーベキューレストランを作るという建築計画案があった。

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MALEVICH

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Tate ModernのMalevich展を観に行った。非常に充実した内容で、マレーヴィチが代表作「黒の正方形」をふくむシュプレマティスム作品群を最初に発表したとされる「最後の未来派展0-10」の展示方法が再現されていた。

Last futurism exhibition 0.10 from Wikipedia

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「黒の正方形」が、二枚の壁をまたぐように設置されているところが重要で、同年代のタトリンも、カウンターレリーフと称して、絵画の平面性の否定という名目で、部屋のコーナー部分に絵画や彫刻を設置することをやっていた。遠近法を完全否定して、幾何学図形のみの凄まじく平面的な絵画をやっておきながら、だからそこに無限の空間の広がりがあるとか言い出したこの人たちはやはり偉人だと思う。また、この、部屋のコーナー上部という位置は、ロシアの農村部に広がったロシア正教において通常、聖母マリアの絵が掲げられる位置らしく、新しい芸術のアイコンとして、この無味乾燥な黒の正方形を位置づけていたこともわかる。

テートモダンを後にして、しばらく川沿いを歩いていると、なぜか未来派の絵画のような模様をほどこされた船が停泊していた。暴力的だった。これが何なのかは、知らない。

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日本で1年以上前に出た、村上春樹の新刊がイギリスでは今月発売になったようで、書店の店頭で見かけた。今日は幾何学的な図形ばかりが目についた。

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夜は、よくわからない日本食どんぶり屋に行こうと試みたが、行ってみたら閉まっており、その近くのイタリア料理屋に入ってパスタなど食べた。

功罪

GodSaveTheGirlHackneyの映画館で、「God save the girl」という映画を見た。Belle&SebastianのStuart Murdockの監督によるミュージカル映画。ストーリー的には極めてよくある自己陶酔型のメンヘラ女子の相当どうでもいい色恋沙汰の話だったが、やはりBelle&Sebastianの音楽が際立って良いので、どんな自己中心的な葛藤も全てポップソングになって、全てがキラキラした美しいものかのように見えていた。

このような青春の痛みや自己愛については、スイーツ的な雑誌では多く「甘酸っぱい」という表現で何の罪もないかのように巧妙に変換されるが、実際それは割と的を得ている表現で、それはまさにベルセバの世界観とその凄みであって、この映画だったように思えた。

Finland 03

フィンランド最終日となり、見れていなかった美術館など一気に見た。おとといの月曜日に、一度観に行こうとしていたのだが、月曜日はほとんどの施設が休館日ということを知らず、やむを得ず断念したところへの再訪だった。

キアズマ美術館。マリメッコとフィンランドの若手作家のコラボレーション的な展示をやっていた。_DSC4722 _DSC4728アテネウム美術館でもトーベヤンソン展をやっていた。こちらのほうが、先日見たムーミン谷美術館に比べ、氏の生涯に焦点を当てた、より網羅的なもので、ムーミン谷博物館の所蔵品の多くもこちらに来ていたようだった。しかしどの絵画よりも、やはりムーミン関連のペン画の出来が突出しているように思えた。個人的には、割と視点を引いたロングショットの絵の多くがよいと思った。微妙な距離感で、遠くで何か変なトロールが何か必死にやってるという、アリの観察箱を見るような上位概念からのやや冷たい視線がある気がした。そういう、人ならざるもの達の所業だからこそ、ムーミンの物語がユーモアと真理をもつのかもしれない。

Finland 02

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VRというJR東日本に似たマークを持つ列車に乗ってTampereという町に移動した。

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カレヴァ教会という建物を見たのちに、街中をフラフラと歩きながらムーミン谷博物館に行った。今年はムーミンの作者のトーベ・ヤンソンの生誕100周年にあたる年で、各地で多くのイベントが開かれているという。なぜか写真を一切撮らなかったので、何も載せるものが無いが、多くのムーミンの原画があり見応えがあった。特にムーミンに深い思い入れがある訳ではないが、単純にあのヌルっとした造形は好みではある。冷静に見ると明らかにグロテスクな形状をしているにもかかわらず、紙一重でかわいくできるというのは北欧および日本の専売特許という感じがある。かわいさが、奇形から発生するので魅力的になる。

_DSC4660その後、町を一望できる塔、その下にある北欧で一番おいしいというふれこみのドーナツ屋、などに行き、割と夜遅くの電車でヘルシンキに戻った。ドーナツはシナモンが生地に練り込まれたもので、非常に優れていた。シナモンという食材は時折、自分が手を出しては行けないと感じるようなオシャレ感を出していることがあるので恐ろしいものの一つだが、久しぶりに食べると非常においしく、やられた。