カテゴリー別アーカイブ: 美術

Finland 01

フィンランドに旅行に出る。一日目はヘルシンキについてすぐFLOW festivalという音楽フェスに行った。ヘルシンキ中心部からそう離れていないところにある元火力発電所跡地で開催されていた。入場者数は約2万人とのことで、ヘルシンキの人口が60万人くらいなのでかなりの人数がここに集結していることになる。良い演奏が多く、かなり楽しめた。

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翌日からは市内散策およびアアルトの建物などを見た。写真を適当に貼る。

アカデミア書店

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アアルトスタジオ。現在でもアアルト財団のオフィスとして使用されており、アアルト建築の修復やリノベーションなどを手がけるために数人の建築家が仕事をしている。

曲線的なドアの取手。アアルトの建物の多くに登場する。

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照明の多くも、シリンダー形状の組み合わせのバリエーションでできている。

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色彩は基本的に白く、それに家具の木目と光がきれいに映える。

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さらにアアルトの自邸にも足を運んだ。曲げ木のディティールが随所にあるとはいえ、基本的には幾何学的な構成なのに、光の入り方がとにかく優しく柔らかく、落ち着く。圧倒されるみたいな強い空間表現があるわけではないし、何らかのコンセプチュアルな理論を感じるわけでもないが、とにかく空間の質がよいと感じる。体験しないと分からないという意味で料理や音楽に近い。そういう根源的な質を、幾何学図形で目指そうとした20世紀初頭の美術運動は、ピュアで、やはり良い。ここが暮らしやすいのかどうかは、知らないが、美しかった。

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Turner contemporary

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Margateという町にあるTurner contemporaryに行った。Mondrian and colourという展示をやっており、モンドリアンの初期の風景画や人物画など、あまり見たことのない作品が多く展示されていた。初期の風景画などは全く特徴のないものと言ってよい。何度かの中間地点は経ているが、例のモンドリアンスタイルへは結構いきなりジャンプして到達している感がある。単に積み重ねでたどり着くのでなく、いきなり謎の飛躍がある。

デ・ステイル結成後の絵は潔癖にコンセプチュアルなので、例えば、今まで絵を全く描いたことのなかった哲学者がいきなり描き始めた絵ですと言ってくれた方がまだ腑に落ちる。あのスタイルの確立後は、ロシアの社会主義の流れを受けて、「芸術は自己表現であってはいけない」という、背景を知らないと不思議に聞こえる考えを示していたとされるモンドリアンだが、その表向きの芸術家としてのポーズ以外にも、やはり皆と同じように、素朴な風景画を自分のタッチで描きたいという裏の姿があったのかと思うといっそう興味深い。

from Turner contemporary website

from Turner contemporary website

その後、近くにあったShell grottoとかいういつ誰が作ったのか全く謎という貝殻洞窟を見て、さらに近辺の浜辺などをフムフムと見て帰宅した。

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Hyper Japan

「ホンモノの日本カルチャーイベント」を標榜するHyper Japanというイベントに行った。チラシにはFood, Technology, Fashion, Games, Film, Music, Anime, Manga, Cosplay, Art and moreとある。ホンモノの、とはもちろんこの場合、茶道や能などの、トラディショナルな和風を指すものではない。 _DSC4181 盛況の会場。妙な外国人達の巣窟と化す。 _DSC4179 初代ドンキーコングをプレイする人。 _DSC4180 13インチくらいの小さいブラウン管TV(テレビデオ)で、今は亡き任天堂ゲームキューブ4人対戦に興じる人々。おそらくこのエリアのコンセプトは「レトロゲームを楽しむ」なのだろうが、ゲーム機だけでなく、あえてテレビまで当時の雰囲気に戻すあたりがこだわりを感じる。 _DSC4183 KAWAIIカルチャーを紹介していた、もしもしにっぽんブース。この文字の描き方はすごく面白い感じがする。 _DSC4188 数多くの日本酒を扱っていたSAKE EXPERIENCEのブース。 _DSC4191 たこやき等。たこ焼き型で忠実にたこやきを焼いている店はひとつも無く、皆、既に球状に成形された冷凍たこ焼きを揚げて作っているようだった。同行のW氏の購入していたタイヤキはタイヤキ型で作っていたようだ。 _DSC4192 ヤンキー髪型の子供。こういうところまで日本を再現してきているとは思わず、客のレベルが高い事がわかる。 _DSC4195 任天堂の販売するルイージの帽子。なぜかマリオよりルイージを推していた。 _DSC4197 _DSC4198 武器屋で刀を見定める人々。 _DSC4201 コスプレイヤーの人々。ヨーロピアンがやると、顔立ちのせいで、より、それっぽくなるような気がする。参照元をあまり知らないので、本当にそれっぽいのかどうか知らないが…。 _DSC4204 カラオケバトルのようなものもあり、この女子はきゃりーぱみゅぱみゅの曲を熱唱していた。日本でもメジャーなカラオケ機器のDAMが機械を提供していたようだったが、採点が、87.695点、など、少数第三ケタまではじき出すシステムになっており、意味なく細か過ぎるような気がした。 _DSC4206 人気のあまり無い、トイレ付近の閑散としたエリアで空手の演舞を始めた人々。おそらくここは待機所で、ステージでの本番前の練習ではと思われた。 _DSC4215 着物を着ている人。ひとりで着物を着るためにはある程度の修練が必要と聞く。 _DSC4217 _DSC4222   会場で配っていたTimeOut誌の東京特集。まだパラパラと眺めただけだが面白そうな内容だった。_DSC4220帰宅後、夕食と涼をとるためにHoxtonにあるQueen of Hoxtonというパブの屋上テラスのようなところに行った。夕時で、良い感じの風が吹いていて気持ちがよかった。

Louis Kahn

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Design museumにルイス・カーン展を観に行った。イェール大学アートギャラリーやキンベル美術館の、スケールの割と小さな模型が置かれていて、工場のように簡潔なきれいな形をしているように見えた。行ったことが無いので、実際は分からないが、構造を変に意匠で隠したりせず、工業的な佇まいがあって乾いた感じなのに、内部空間の光が異様に芸術的で美しいというのは、押し付けがましさがなくて冷たくてよい。バングラディシュ国会議事堂の写真や模型もあって、建築物のどの部材よりも先に、重い影が、真っ先に強く目につく感じがやはりきれいだった。光は、それが建築物にぶつかるまで、自分がどんなに美しいかを知らない、と壁に書いてあった。

from designboom website

他にも別フロアでDesign of the year 2014という展示をやっていたので見た。様々なジャンルで今年面白かった品々を一堂に集めていた。

Experimental jet setのホイットニー美術館のVI計画。ホイットニーのWをいろいろ変化させて造形をつくるようで、簡素でざくっと強くて面白い。

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PentagramによるサーペンタインギャラリーのVI計画。SERPENTINEの文字列のどこかにカラフルで多目的な四角形を入れこんでいる。

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自分が好きなドローイングマシン系の亜種。太いマジックで文字を描く。スイスのECALの学生の手によるものらしく、ECALといえばドローイングマシン系の祖ともいえるHECTORというマシンを作ったJörg Lehniが教員を務めていた学校のはずだ。

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Seaboardというピアノの進化版のような楽器も置いてあって、実際にさわれた。鍵盤が全て柔らかいチューブみたいなもので出来ていて、押し込む強さで音量と音程が変化する…。グニャグニャしていてさわって気持ちよい感じがした。

_DSC4173夜は非常に久しぶりにWimbledonに寿司を食べに行った…。

William Morris gallery / Red house

昨日に引き続き、モリス関連の施設をまわる。ロンドン北東部にあるWilliam Morris galllery、および彼の仕事場だったロンドン南部にあるRed Houseに行った。どれも内部写真が無いので、ただ外観だけしか記録が無いが、どの施設も充実した展示で興味深かった。モリスギャラリーの方は豊富な資料で、知識としてモリスを知ることができ、レッドハウスの方は、当時のままの空間がそのまま残されているので、体感としてモリスを知ることができる。

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ケルムスコット・プレスでモリスの作った3つの書体の見本なども置いてあって、興味深かった。またモリスの妻ジェーンと、友人の画家ロセッティが、退屈なケルムスコットマナーで不倫関係になって心にダメージを負ったモリスがアイスランドにセンチメンタルジャーニーに出て、そこでまた今までに無かったデザインの啓示を受けるあたりの資料など、知らなかったものも多くあり楽しめた。

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Kelmscott Manor

W氏と話していてWilliam Morris系の施設を一気に行くという話になり、この土日をかけていくつかの施設を訪れた。

この日はオックスフォードよりもっと西に行った農村部にある、モリスの別荘ケルムスコット・マナーに行ってみた。モリスが家族と、家族ぐるみの友人の画家ロセッティと過ごしたところ。内部写真が取れなかったためにあまり写真が無いが、ところどころモリスデザインの壁紙や、家具があるものの、全体的には非常に簡素な、素朴きわまる家でとても良かった。

モリスのデザインは、テキスタイルや晩年の超装飾的なケルムスコット・プレスの書籍などから、わりとデコラティブで華やかなものというイメージがあったが、自身の住まいは想像よりずっと、モノがなかった。

たしかにモリスの考え方の根元にあるのは、ジョン・ラスキンなどの自然をとにかく崇拝するという考え方であると、学生の頃、習ったので、ものに縛られて時間に追われる暮らしでなく、ただ自然の中でゆっくりと暮らすことが美しいと心底思っていたのであろうことはよくわかった。モリスの好きだったというバイブリーという田舎町にも以前、行ったが、そこも似たような印象だった。

ただ、そのレベルにまで精神的に成熟するのは、普通の人には難しい。当時すでに世の中は大量生産と大量消費の近代化の最中だったので、その中ではこういう素朴な暮らしぶりは、凄まじく退屈に映っただろうし、受け入れられにくかっただろうと思う。退廃的とさえ思われたと思う。

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ただモリスはデザイン力が突出していたので、自然を写し取ったきれいな家具や壁紙を作って、まず人々の意識をなんとか変えようと思って、例のアーツ・アンド・クラフツ運動をはじめた。

結果的にその仕事は成功したが、モリスの家具は高額で、一部の金持ちしか買えなかった上に、ファッション的なトレンドと化し、皆、そのモノ自体を所有する欲にとらわれてしまい、ほぼ誰も、美しいカントリーサイドを愛する、というモリスが望んだ精神レベルに到達することはなかった。

モリスはモリスで、仕事が成功しすぎたあまり、死ぬ程、忙しくなって、自分の本当に好んだという生活スタイルからは遠ざかっていく。

それでもデザインと社会活動をやめずに最後まで、狂気をもって尋常でないクオリティの作品群を生み出し続けたことは凄まじい使命感だとは思う。

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このケルムスコット・マナーは、非常にいい感じの雰囲気で、何か癒される感じがあったが、なんとなく、モリス氏の疲労が全てここに堆積しているような気もした。

その後、周辺にあったいくつかのコッツウォルズの町を巡って、帰宅した。

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Serpentine gallery pavilion

Hyde parkにSerpentine galley pavilionを観に行った。今年のものはチリ人建築家のSmiljan Radićの設計によるもので、巨大で歪んだドーナツ状をしていた。メイン構造体のドーナツの下にゴロゴロと巨石が置かれていて、それによって、無目的な隙間ができていて、人々がそこで休んでいた。ドーナツ内は、トンネル形状をしているためか、どうも通路っぽく、そのせいか何となく橋にも似ていて、本来、2点をつなぐ橋が、たまたま入口と出口が同じだったためにドーナツ状に丸くつながったように思えた。トーラス形状は全体的にひっかかりどころのない形なので、しっくり腰を落ち着けられる居場所を見つけることが難しく、あまり建物には向いていない形のような気も、した。

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ギャラリー本館では、Marina Abramovićという人の手によるパフォーマンスアートの展示をやっていた。観客は全員、消音ヘッドフォンをつけ、無音状態で部屋に入るのだが、部屋に入ると、人々が壁に向かってやたらとゆっくり歩いていたり、十字型の台の上にただただ直立不動で立ち尽くしたりしていた。基本、意味が良くわからないのだが、観客たち全員の困惑が独特の緊張感を作っており、幾人も人と、互いに目配せしながら、これの意味がわかりませんという無言の微笑を交わし合った。

また、学校のようなサイズの机とイスが並べられた部屋では、参加者の人々がひたすら米と麦をひとつぶ一粒、選り分ける作業を黙々とやっていて謎だったが、よく見ると、半数以上の人が選別作業に飽きて、米を図形状に並べて絵を作ったり、文字を書いていたり、数を数えるために与えられていた鉛筆で、米と一切関係ない図形をデッサンしたりし始めていた。米、麦、鉛筆、紙という限られたアイテムで誰が一番エキセントリックなことが出来るかという戦いに変化している気がした。

from Serpentine gallery website

更にSerpentine gallery別館のSackler galleryのほうのEd Atkinsという人の展示も観たのだが、これも謎だったために割愛する。言葉が作品の重要な部分を担っていたようなので、これは仕方がなかった。

その後、ピカデリーサーカスのあたりを少々ふらふらして、帰宅した。

Andreas Gursky / Augustus Thompson

from White cube website

White cubeにAndreas Gurskyの展示を見に行く。緻密で巨大なプリントがWhite cubeの真っ白な空間の中にゆったりと置かれていて、きれいだった。ものは、情報量を削っていくと抽象的になっていくが、情報量を過剰に増やして行っても抽象的になるというのが良くわかる。

from White cube website

Augustus Thompsonという人の絵もざっくりしていて面白かった。やたらと何かを反復させており、使っている図形も画面構成も、おそらくあえてダイナミックにしてないので、繰り返しが不気味に目についた。ぱっと見て印象がきれいなのに、同じ図形が並ぶとやや気味の悪さがあり、また文字のように記号化して見えるので、これは絵ではないですといった乾いた存在感があって、軽くて良かった。

ギャラリーをあとにし、同じ通りにあったフレンチビストロで食事をとった。非常においしかった。いったん帰宅した後、コリアフーズに行ってもろもろの食材を購入した。

マティス 堀辰雄

from Tate Modern website

Tate modernにマティス展を見に行った。主として切り絵の作品が展示されており、ベットの上でなかば寝たきりになったマティスが、カラフルな紙からワカメの様な形状をハサミで切り出し、マティスの指示のもと、アシスタントがそれを壁に張り付けて作品を生み出している様子を映したビデオが面白かった。作り方がかなり即興的で、アシスタントに切り絵を張り付ける場所を右だ左だといろいろ試させながら、ピンと来る場所を探っていた。使う色も、すでに自身の気に入った色だけを集めたカラーパレットを作成していて、それをもとにアシスタントが紙に着彩していたようだ。画家がこのように制作過程をシステム化して、スタジオ制で芸術制作するのはいつ頃から始まっていたのか、知らないが、マティスもそういうやり方をしていたとは知らなかった。

_DSC3937帰宅後、先日、見たジブリ映画の原作のひとつである堀辰雄の「風立ちぬ」を読んだ。数年前に、活字サンプルとして偶然、神保町で購入していたもので、全く読まずに本棚の中で忘れていた。本はオリジナルの野田書房の初版本でなく、昭和後期に当時の造本を完全に再現して復刻された「新選 名著複刻全集近代文学館」の一部にあたるもの。詳しくはあまり知らないが、当時、タイポグラフィをある私塾で習っていた頃、そこの主が、このシリーズは古本屋に安く売っているし、造本・組版の復刻の完成度が高いので良いと勧められて買ったもののように記憶している。

内容は、わりと記録的な文体で、自然の描写がとても緻密に書かれていて、登場人物はあまり喋らないのに、サナトリウムの中での凝縮された時間がわかった。物語は全体的にかなりゆっくり、慈しむような時間が流れているにも関わらず、読後には、それらがすべて一瞬のうちに過ぎたように感じられるところが、現実の時間の流れと同じような冷酷さがあって、良かった。

The Wind Rises

午前中、W氏の引越しの荷物運搬を手伝う。

夕方に、ロンドンでも公開されている宮崎駿の「風立ちぬ(英題:The WInd Rises)」を観た。日本での公開から1年ほど遅れて、やっと観る事ができた。日本語音声の、英語字幕のものだったので、鑑賞に支障はなかった。

観たあと、これがイギリスでどのように捉えられるのか、気になり、こちらのレビューをいくつか読んだ。それらによると、今までの宮崎作品とは全く違った大人向けの内容、戦争兵器と知りながらも飛行機設計という美しい夢に魅せられた青年の狂気、などの概要に加えて、宮崎駿の父親が航空機製造工場を営んでおり、零戦の一部の部品を製造していたこと、更に母親が結核を患っていたことを引き合いに出しながら、自身もアニメーション制作という狂気に取り憑かれた宮崎駿自身の自伝的映画、と解説したり、あるいは英国空軍の有名戦闘機Spitfireの設計者を題材にしたらしい映画「The first of the few」との共通項や、サナトリウムの描写の元となっているトーマス・マンの「魔の山」という小説を取り上げながら、普遍的なテーマを描いているというといった解説もあった。どのレビューも、わりとストーリーの意味を説明することに寄っている気がした。

個人的には、スタジオジブリの映画は、映像、アニメーションの動きそれ自体に、凄まじい叙情性があるので、必ずしもストーリーの意味を追わずとも、いかに映像が美しいかを言葉で的確に説明できれば、よい映画のレビューになる気がしている。飛行機が浮かび上がるシーン、震災で地面が波打つシーン、群衆のシーン、飛行機がバラバラになりながら墜落するシーン、風がパラソルを吹き飛ばすシーン、等、あらゆるシーンのアニメーションの動きが躍動的で、見ていて本当に気持ちいいくらいに、動きが生きている感じがした。

非常によい映画だった。