Firminy 02

サン・ピエール教会に行った。これはコルビジェの死後、数十年に渡り工事が止まっており、2000年以降に、コルビジェ建築が町おこしになると市議会で議決されたのちに、目玉作品として工事が再開され、完成したという建物。

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基本的に、造形はけっこうゴチャゴチャしていて、なんと言うか実験作だったのかなという気がする…。部分を切り取ると面白い構成が見られるのだが、全体的には主題がないような感じで、そんなに秀作ではないという感じがする。コンクリートが新しくツルツルしているのがまた暴力性に欠ける。

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また、この建築の目玉は、壁面に穿たれた、オリオン座をかたどった無数の穴で、ここから内部空間に美しく光が漏れるというものなのだが、外観から受ける印象と同じで、装飾が具象的すぎるのではと思う。コルビジェが生きていたらこんな安っぽいプラネタリウムみたいなの作ったかな、という疑問が残った。

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個人的には、こういう直で星座をかたどるという小細工的な光の操作は期待していなかった。美しいかな?これ…。余計な事するなよという感じがする。

他には、まさにコルビジェっぽい、幾何形態と色による光の操作がたくさんあり、きれいではあったのだが、どうもプラネタリウムの失望を引きずってしまい、全体の印象を引き下げてしまい、あまり総合的に良いと思えなかった。_DSC0909 _DSC0912 _DSC0917 _DSC0919 _DSC0925 _DSC0926 _DSC0928 _DSC0936 _DSC0937 _DSC0956建物内にはビエンナーレの出展作品のひとつである、YURI SUZUKIのインスタレーションが随所に寄生した菌糸類のように置かれていた。来場者が自由にパイプを組み立て、設置できるタイプのものだったようだ。これはこれからもっと量が増えてごちゃっと空間を支配したら面白そうだった。

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教会の隣にはプールがあり、これもコルビジェの設計物。中は見学させてもらえたが、女子の水泳大会みたいなものが開催されており、写真はやめてくれとのことだったので、外観写真しかない。窓の割り方がきれいだった。

Firminy 01

朝、Lyonの駅からSt Etienneを経由してFirminyという街に向かった。主目的はサンテティエンヌのビエンナーレだが、それは午後に行く事にした。ここフィルミニにはル・コルビジェの建築が数点まとまって建っており、街もそれを文化遺産として残して町おこしに使っている。リヨン近郊には、他にももっと有名なコルビジェ建築のラトゥーレット修道院があるが、今回、カード停止のトラブルによる一日ロスがあったため、行程から外さざるを得なかった。また改めて来たい。

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最初に高台の上に建っているユニテ・ダビタシオンに向かった。ユニテはフランスとドイツに合わせて5棟あり、知名度はマルセイユのものが最も高く、ここフィルミニのものはさして有名ではないらしかった。

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規格化された部材の硬質なグリッドの反復に対して、原色の色面や、ランダムな小窓などが良い感じでアクセントとして効いていた。ただピロティの柱は(行ったこと無いが)マルセイユのもののように丸みのあるエッジのほうが良かったのではと切に思った。ピロティの部材が丸ければ、その上のボックス群との対比がもっと強くなって、この幾何学的ボックス群の平面が地面から浮いたように見えたのではと思う。マルセイユのユニテには、屋上に謎の逆円錐みたいな激しいエレメントが乗っかっているが、ここにはそれはなく、やや控えめな円柱状のものが乗っていた。実際にこの巨大で完璧に律されたグリッド平面を見ると、確かに、屋上かピロティかでリズムを崩さないと、全体的な均衡が取れないので、なぜあの逆円錐をくっつけたのかが分かるような気もした。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン from Wikipedia

マルセイユのユニテ・ダビタシオン from Wikipedia

確かコルビジェ自身は、「屋上というものは、それまでせいぜい雀や猫が使っていたくらいのものだったが、マルセイユの街を眼下に見下ろせる素晴らしい景色を含んだ空間なので、それらを人間のためにちゃんと作ろうと思った。屋上のエレメントはマルセイユの街をかたどった。」みたいなことを書いていたように記憶している。

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共用部は自由に入る事が出来た。各部屋のドアが赤青黄緑の4色で塗り分けられており、そこに反射した光が廊下全体をカラフルに染めていた。_DSC0807_DSC0823_DSC0829_DSC0833

玄関の横のメイン壁面には、例の「モデュロール」のかたどりがあった。どのユニテにもこのレリーフがあるらしい。モデュロールというのは人体寸法を用いた尺度で、このユニテは、メートルという単位、子午線の一千万分の一というだけで決定された人間と関係ない単位を捨てて、寸尺の体系で設計された。その証明と啓蒙のために、このモデュロールマンが穿たれている。

人間的尺度に基づいているので「使いやすく」「住みやすい」住宅だという誤解があるが、この設計者はそういうどうでもいい優しさで設計しておらず、もっと暴力的な形態の理論家だということは、このソリッド過ぎるコンクリート表現からも感じられる。このレリーフでは示されていないが、実際に、モデュロールの核になっているのは数学、それも比例で、コルビジェが最初に研究していたのは黄金比や、それと関連するフィボナッチ数列等の比例を用いた造形システムで、それらの比率を使って建築部材のプロポーションを律していくことで、全体的に調和のとれた美しい建築物を作ろうとしていた。

Modulor

たまたま持っていた、コルビジェ著の「LE MODULOR(吉阪隆正・訳)」によると、モデュロールは「人体寸法と数学から生まれた、寸法をはかる道具」で、「足、へそ、頭、上にあげた手とによる三つの間隔は、内にフィボナッチと呼ばれる黄金比を含む」と書いてあり、さらに「モデュロールの使用から生まれる組み合わせは無限」で、それは「数学の厳密なすばらしい遊び」で「美しい結果」を生むと書かれている。

Modulor2

これはその本に載っている、モデュロール開発途中の概念図だが、最初は純粋に比例格子が作る美しいコンポジションの研究をしていて、あとから人体寸法をそれに当てはめているような解説になっている。最初に人体寸法が基準としてあったわけではない。

この頃コルビジェは「工業的現実」に則して、正確かつ能率的な量産住宅を作るための研究に取り組んでいた。そのために何らかの「規格」が必要なのだが、それは、単調で非人間的なものでなく、豊穣でなければならないと考えていた。その豊穣な規格というのは、本の中ではよく音楽に例えて説明されており、ピアノの鍵盤などは、物理的には無数にある音程の中から、12音階を限定して切り取っているが、無限の変化がそれで失われるという事はなく、自由度がありながらも常に調和がとれている、理想的な規格となっているというもので、同じようなことを建築で実現しようとしたのがモデュロールという事になる。

モデュロールというのは、人間と機械の妥結であり、それは感情と数学のことであり、比例の格子のことだと書かれている。

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モデュロールが何なのかということは、本の中に書かれている、所員とコルビジェのやりとりを読むとよくわかる。この一節は非常に格好良く、好きなので全文引用する。

私はModulorの使用法に、或はその使用を統御することに深い注意を払った。だから私は体験を話す事ができる。製図板上に時にはまずい配列、いやらしいものが見られた。

『先生、Modulorに従ったのですが—』

『Modulorなんかいいさ、消したまえ、君はModulorを下手くそや不注意者の万能薬とこころえているのか、もしModulorがいやらしいものへ導くなら、Modulorなど捨てたまえ。君の目が判定者だ、君の認めなければならない唯一のものだ。目で判定したまえ、君。そしてすなおに私とともに、爾今Modulorは道具であること、正確な道具であること、いわば鍵盤なのだ、ピアノなのだ、調律してあるピアノなのだということを認めたまえ。ピアノは調律されている、うまく弾くかどうかは君に関することだ。Modulorは才能を与えはしない。天才的才能などはなおさらである。重苦しいものを軽快にすることはない。確かな尺度の使用から来る安全さを提供するだけだ。しかし、Modulorの限りない組合わせの中から、「選ぶ」のは君だ。』

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次にサン・ピエール教会に向かった。ちなみにここフィルミニには全部で5つのコルビジェ作品が集まっており、ユニテが想像以上に良かったあまり記事が意味なく長くなり過ぎたので、分割する。

土曜

午前中に銀行の支店に行き、カードの問題は解決でき、凍結は解除された。最初、来週にならないと解除できないと言われて、全てが終わったと思ったが、責任者のような人に聞いてもらったところ、その人が電話で解決してくれた。

帰宅後、もう一度もろもろ調べ直し、旅の予約を完了させた。あまり手頃な便がなく、今夜に出発、深夜に現地着、日曜は1日を現地で過ごし、月曜の早朝に戻ってくるというあまり効率的でないスケジュールとなった。

9時前のHeathrow発の飛行機に乗り、深夜12時前にLyonの空港に到着、直通電車に乗ってLyon市内に向かい、宿で休んだ。機内で隣に座っていた男が、何らかの発作なのか2-3分おきに体をビクンと大きく震わせていたので、何か危険なのではと思ったが、本人が大丈夫、構うなみたいなことを言っていたので問題なかったのだろう。

金曜

今日からEaster holidayのため4連休となる。突発的に、同僚の方が薦めていた、フランスのSaint-Etienneという街で行われているデザインビエンナーレに行こうと思い、チケットを予約しようとしたが、何故か何らかの理由でカードが止められており、支払いができず、予約が出来なかった。銀行に電話をかけたが、電話ではブロックを解除できないと言われ、どこかの支店に行かなければならないらしかった。しかし祝日のため、支店はどこも休みで、明日にならないと問題は解決しないことが分かった。とりあえず明日を待つしか無いが、出ばなをくじかれて一日が全て無駄になったように感じる。

サマータイム

作業など。サマータイムが始まった。夕方7時でも真っ暗にならず、冬が終わっていく。冬が終わろうが、夏が始まろうが、どうでもいいが、ただ時間が経った事は寂しく感じる。いつも常に眠いのは炭水化物過多なのではという着想に取り憑かれて、豆腐の作り方を2時間ほどネットで調べ続けた。にがりの入手が難しいのではと思われたが、Epsom saltという塩化マグネシウムを主成分とするもので代用が可能なようだ。実際に作る気力を捻出できるかどうかは分からない。

Hamburg

昨晩のうちにDüsseldorfからHamburgへ移動した。ここでも、道すがら、いくつかの建物を見た。赤レンガの倉庫群の無骨すぎるくらいの鈍い赤が、良いと感じた。また、何か、隙間なく並べたり、とにかく揃えたり、執拗に繰り返されたりしていることが、自分にはとても情緒的に見えた。

夕方の便でロンドンへと戻ってきた。

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Essen

Düsseldorf郊外のEssenという街に行った。用事があった場所の側にSANAAの設計の建物がひとつあった。非常に清潔な感じの造形だった。中には入れなかったが、内部も、殆ど仕上げらしい仕上げの施されていないようなマットなコンクリートのさらっとした感じで、躯体のままで純化されて止まっているような感じが美しいと思った。
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通りにはいくつかの巨大な黄色い鳥の像が置かれていた。自分が見つけただけでも3匹あったが、それ以上いたのかどうかは分からない。

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Prost

同僚の送別会があった。人がまた一人、減るのは寂しいものがあるが、順番だという気もする。かつての同僚も集まってくれ、にぎやかで良い会となった。同僚氏はこの国を離れるが、いずれまた会えることもあるだろうと思う。_DSC0225

生活

米を鍋で炊くという方法は非常に使えることが分かってきた。何より速度が出るのが良い。また、サバ缶もコンスタントに消費し続けている。適当にルッコラ的な袋詰め野菜を買ってきてサバ缶を混ぜるだけで良い感じのサラダになる。ひとりで食べる物なので、こういう安くて早く、それなりにおいしいというものが良い。価格が高かったら意味がないとも思う。値段が味を汚す気がする。人との食事に関しては、そういう事は思わない。あくまで単独の食事の際に感じる。なぜ、いつからこうなったのかは、知らない。

胡麻

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from Barbican website

from Barbican website

Barbican art galleryにて「Magnificent obsessions: The artist as collector」という展示を見た。ウォーホルやダミアン・ハースト、ソル・ルウィット、杉本博司など、各国の著名な現代美術作家の個人収集物に焦点を当てた展示会で、それらの人々の作品に影響を与えたであろうイメージソースが大量に並んでいた。アフリカのブードゥー人形、呪物などの登場比率が高い気がした。昨今の個人的な心の動きとして、ものを集めるというところからなるべく遠ざかりたいと思っているので、ものが集まっているというだけで何か苦しくなってしまって、あまりひとつひとつをじっくりと見る気になれなかった。

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別室ではRoman Signerという作家の「Slow Movement」という展示が行われていた。大きくカーブした100メートルほどの部屋を、無人の赤いカヤックがロープで引きずられながらゆっくりと行ったり来たりするというだけの展示で、虚ろなのに緊張感があり、良かった。人の歩く速度よりわずかに遅い程度の速度で、床をこすりながら移動するカヤックに吸い寄せられ、何人もの人が幽霊のように後を付いていった。

_DSC0192その後は少しだけ街を散策して、帰った。以前にも書いたが桜っぽい何かがそこら中に植わっている。日本の桜のような華やかさはない。種類が違うのだろうが、桜は日本にしか無い物だとずっと思っていたために、未だにこういうロンドンの桜を見ると、何か空間が継ぎはぎになったような異次元感覚がする。