Göteborg 01

最終日。ストックホルムからイェーテボリに電車移動した。何らかのトラブルで出発時刻が一時間遅れた上に、途中でも何度か止まって、結局2時間近く遅れて到着した。

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時間があまり無くなってしまったので、イェーテボリ北方にあるSankt Olofs kapellという小さな墓地はパスすることにし、イェーテボリ裁判所に向かった。後期アスプルンドの傑作とのことらしかったが、受付の人によると内部は一般公開していないらしく、残念ながらそれを体験することはできなかった。基本的に、この旅自体、突発的なものだったので、そういう下調べの甘さが随所に出ている。

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とはいえ、誰でも入れる受付部分から、断片的にその内部空間をのぞくことができた。あらゆる構成要素の角が緩やかに丸められており、白い大理石に差し込む窓からの明るい光が反射し、全体的にかなり柔らかい雰囲気で美しかった。かなり良い空間であるだろうことが伺えた…。のぞけたのは全体の1割にも満たないのではと思われるが、それでも名作と言われているだけの気配があった。

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Stockholm 08

更にラファエル・モネオ設計の現代美術館にも足を伸ばしたが、すでに相当、疲れてきており、全体をざっと見て、あとはベンチで休んでいた。家具類が全体的に薄くて、派手では無いが品のある素材の組み合わせが、きれいだった。

今回のストックホルム滞在で見た、主要な建物群を全記述するこの試み自体にも疲れ始めている…。もう何時間もこの記事を書き続けている。この行為自体にどれほどの意味があるのかは、知らない。最終日の分がまだ残っている。

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Stockholm 07

その後、ブレーデンベリ・デパート(Bredenbergs varuhus)に行った。これはもはや言われなければアスプルンドの設計とは分からないくらい、これといった特徴が無いので探すのに非常に苦労した。実際は中央駅のすぐ裏手に建っていた。

ブレーデンベリ・デパートはとうの昔にオーナーが変わっており、今はFEETFIRSTという安売りの靴屋が入っていた。内装ももはや原型はなく、階段の手すりなど、ごく一部にオリジナルの意匠が残っていたが、それだけを見たところで特に何も思うところはなかった。女性靴売り場で、手すりの写真をパチパチと撮っていたので、店員から、何やってるんだ?と注意を受けた。
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見落としてしまいそうなレベルの存在感だったが、通用口の横のショーウインドウのところに、このブレーデンベリ・デパートのかつての姿を伝える展示コーナーがあり、そこには竣工当時の写真や、手すりの図面などの資料が置かれていた。また、この建物がどのような経緯を経て、現在に至っているかの説明なども書いてあった。途中で一回、アスプルンドの息子の設計により、外壁材の張り替えなどが行われていたようだ。内装はもはや見るべきものはないとしても、駅裏の一等地にあるこの小さなビルが建て替えられずに残されているということには、関係者の努力を感じなくはなかった…。

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Stockholm 06

その後、エストベリ設計のストックホルム市庁舎(Stockholm City Hall)を訪れた。規模は全然違うものの、外観の雰囲気は確かに大隈講堂に似ている。

ガイドツアーに参加し、内部をもろもろ見ることができた。ガイド氏は「ナショナル・ロマンティシズム」という単語を連発しており、確かにその造形は、ヨーロッパの各方面からもろもろのすぐれた建築様式・美術様式を取り入れつつ、そこにスウェーデンの固有の歴史やシンボルを織り交ぜて独自化させていくというスタイルが貫かれていた。

イタリアや、ドイツなど、それらの様式の本国から見れば、まがい物なのかもしれないが、本流のものよりも、こうした中間的によく分からない異質な文化同士をぐちゃっと混ぜたものの方が面白いことがある。全体的にちょっと過剰で、だから面白い。

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Stockholm 05

墓地を後にし、その近くにあるセント・マークス教会(St.Mark’s church)に行った。アスプルンドと協働して森の葬祭場を設計したレヴェレンツの設計。これが予想以上に良く、開口部の少ない重厚な塊が、なめらかにうねってきれいにグラデーションを作るメインファサードは素晴らしいものがあった。もともと、こういうコンクリートが分厚そうな、朽ち果てきれなかった無用な物のような存在のものは好きなので、目を奪われた。

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メインファサードが、窓の少ない要塞のような趣だったのに対し、裏側に回ると、北欧らしい細い木製サッシの窓と、気持ちのよい割り付けやドアのプロポーション、アクセントの白いペイント壁など、きれいな造作があわられ、その対比が明快で美しかった。

_DSC8193 _DSC8196 _DSC8197この建物に関しても、礼拝室以外は入ることはできなかったが、窓の外からのぞいた内部空間も相当に良さそうだった。レヴェレンツのことは全く知らなかったのだが、ここに来れて良かった。墓地の中の、復活の礼拝堂という建物はレヴェレンツの設計だったが、そこも工事中で全く入ることができなかったのが、残念に思われた。

Stockholm 04

2日目。朝早くに、アスプルンド(および共同設計者のレヴェレンツ)の最も有名な設計作品である森の葬祭場(Woodland Cemetery, Skogskyrkogården)に行った。ストックホルム郊外にある巨大な共同墓地で、世界遺産にも登録されている。広大な敷地内に火葬場、礼拝堂、復活の大聖堂など、いくつかの主要な建造物が点在しているのだが、今日はいくつかの葬儀が行われることになっているらしいため、そのどれにも立ち入ることはできなかった。ただ墓地内は誰でも自由に出入りできるようになっており、散歩道のようにも使われていた。
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すでに多くの著作などで言われているように、正門を抜けてから、ゆるやかな丘を登り、火葬場を抜けて、墓標の並ぶ森の中に至るまでの流れ、リズムが非常に静かで感傷的だった。

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アスプルンド自身の墓もここにある。

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礼拝堂に続く門の上部にはレリーフがあり、その中に「今日は私、明日はあなた」という死者からの言葉がラテン語で書かれている。これはその内容の強度、短さから墓碑銘として割と有名なフレーズらしい。確かに簡潔で深く響く。自分が墓碑銘を必要とするときがあれば、これを採用したい。「今日はあなた、明日は私」という逆の言葉が墓地の正門に書かれていたらしいが、見逃した。

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この墓地は建物それ自体もさることながら、墓場と森が完全に一体化していることが特徴になっている。垂直に林立する全長30-50mはあろう樹木に対して、40-60cmくらいの小さな墓標がランダムに置かれていて、そのコントラストが際立っていた。自分の感覚では、墓地というものは、一区画いくらで土地が分譲され、その小さな区画の中に代々が収まっていくというスタイルだが、ここでは、そのような区切りがなく、ひとつの森を全員が共有しているといった感じで、簡単な目印としてささやかに墓標が置かれているものの、皆が大きな森に還っていくという死生観が見てとれた。

とはいえ、人は死後のスタイルさえそれぞれなので、区画化されているエリアも少しあった。また、こことは別に、ひとつの丘が散骨の森となっていた。そこには墓標すらなく、他に比べ樹木の密度が高く、あえて大きく手入れもされていないような少し荒々しい森の姿があった。

_DSC8141_DSC8147 _DSC2110_DSC2108 _DSC8170_DSC8150_DSC2136_DSC21402時間ほどが経過し、朝10時を回ったあたりで墓地を去った。帰り際に、火葬場の煙突から煙が立ち上っているのを見た。

Stockholm 03

前2回分の記事もそうだが、このストックホルム中の日記は、写真を狂ったように貼る予定でいるので、これを見ている数少ない人の中でも、携帯電話で見ている人がいたら、重くて辛いかもしれない。

滞在中は食事として、シナモンパンを複数個、胃に入れた。市内のいたるところにセブンイレブンがあるので、そこのものをよく購入していた。どういうわけかシナモンパンがわりと好きなので、いくつか市内のパン屋にも適当に寄ってシナモンパンを購入したが、セブンのやつもパン屋と同等かそれ以上のクオリティがあった気がした。日本でもセブンイレブンのパンには信頼を置いていた。

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ストックホルム中央駅の駅前は、やや古めかしい近代建築がゴツゴツと大量に建っており、誰の設計によるものなのかは知らないが、重くて非常に良かった。どのビルもヨコに広く、縦長のペンシルビルのようなものはあまり無くて、箱のような無機質な表情があり、きれいだと思った。_DSC8106 _DSC2027 _DSC2036_DSC8109

ガムラ・スタンと呼ばれる保存街区には古い街並みが保存されている。王宮などもそこにある。前回、2月に来た時、ざっとこのあたりは見たので、今回は特に用はなく、素通りするだけに終わった。

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市内のホテルはどこも高額だったので、AirBnBを使用して、一般人の家に宿をとった。その人はほとんどセミプロのような感じで、自宅のうち3部屋を旅行者に毎日のように貸しており、殆どホテルにいるのと変わらなかった。

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Stockholm 02

図書館を出た後は、国立バクテリア研究所(State Bacteriological Labratory)に行った。研究所自体はとうの昔に閉鎖されており、行ったところで内部が見られるのかどうかは疑問だった。とりあえず行ってみたところ、この施設は研究所からオフィスビルを経て、今回新しく「Asplund」という名前のホテルやレストランに生まれ変わるらしく、その内装工事を行っていた。

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中にいた人に呼びかけたら、内部に入れてくれ、工事中の各部屋を見せてくれた。基本的にはなるべくアスプルンドのオリジナルの意匠を残すようにしており、現代的なインテリアと合わせたデザインホテルのようなものを目指すという。壁などもオリジナルの色ですべて新しく塗り直されていた。往々にして、このような歴史的建造物は、たとえ原型と同じ色だったとしても、塗り直したり洗ったりすると、味や凄みが失われることが多いが、これに関しても例外ではないように思われた。

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ただロビーの巨大な吹き抜け空間は、とても良かった。天井付近をぐるりと一周する水平窓から光がソフトに差し込み、角がほどよく落とされた機械室や螺旋階段に回り込むようにあたっていた。先の図書館もそうだったが、全体が明るいのに、同時に全体がほどよく薄暗い感じもするところが、何か自分の琴線を持っていく感じがした。

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ここはデザインホテルになるらしいが、詩的な観点からは、バクテリア研究所時代のほうが情緒があっただろうと思う。デザインホテルがきれいに出来ていても、あまり面白くないが、理性的な研究所で、顕微鏡の世界に没頭する研究員たちの空間が異様に美しいというほうが立体的だと思う。

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研究所の最寄駅は月面基地のようなSF感があった。誰の手によるものかは知らない。

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その後、街の中心部に戻り、スカンディア・シネマ(Skandia Cinema)に行った。たいして下調べもせずに来てしまったので、今日も明日も休館日だった。ここは外観だけ見ても完全に意味のない建物なのだが、どうしようもなかった。

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Stockholm 01

遅めの夏休みを取得していた。休み自体は、前から予定していたものの、何か予定があったわけではなく、昨日まで何をするか、全く決めていなかった。同僚など、会う人会う人、明日から休むと言うと、どこに行くのかと必ず聞かれ、何の予約も取ってないと言うと、それは有り得ない何のための休みなんだと返された。
家で1ヶ月引き篭もっても、まだ全然足りないほど、家でやりたいこともあるのだが、同時に、休み明けに何してたのと聞かれ、ずっと家にいたと答える精神力が自分には無いことも分かっていた。休み中ずっと家にいるのは悪いことでないが、基本的に社会はそれを許容しないだろうし、それはそういうものとして特に思うところはない。
地図を凝視しながらもろもろ考えた結果、アスプルンドの建物を見にスウェーデンに行く事にした。ストックホルムは今年2月にも行ったが、その時は業務だったのでアスプルンドを全く見ずに帰ってきてしまい、そのことを残念に感じていたことを思い出した。

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ストックホルムに到着すると、すぐストックホルム市立図書館(Stockholms Stadsbibliotek)に行った。有名な円筒形のメイン書架室に至る前、エントランス部分に、黒く塗り込められた高い壁に囲まれた前室がある事を知らなかった。黒い壁に光が淡く漏れ照らされて、その上から物体の影が重ねられて、陰影の中の陰影がやたらとメランコリックに感じられた。もろに悲しくなる作用があり、視線を先にやると細い通路を上昇していく階段があって、そこを抜けると一気にふわっと明るい全方位の巨大書架空間が広がる。大仰なくらいの場面展開なのだけど、光がそうとうにきれいなので、斜に構える隙すらなく、圧倒されるものがあった。

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メイン室を取り囲むように、側室にも書架と閲覧コーナーがあった。入った瞬間、何となく「知ってる」空間の感じがした。かつて通っていた、大学の理工学図書館の雰囲気がしたような気がした。設計者の安東勝男が北欧に影響されていたのかどうかは知らないが、そもそも大隈講堂はエストベリ設計のストックホルム市庁舎に影響を受けているとされるし、確か日本で最初にアスプルンドを紹介したのも同大学の今井兼次なので、そこからの系譜で、同大学には常に北欧趣味があったとは、学生の時分に教授から聞かされていた。だから、なんとなく先入観からそう思っただけかもしれない。

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天井付近に回された窓、二階から覗く閲覧机のレイアウト、工業的な鉄パイプと木製の家具など、要素として似ているところがないわけではないが、よくよく考えてみると全体的な明るさの質は全く違う気もした。それでも、上方から斜めにサッと差す光線の具合がやはり何か懐かしい感じがした。理工学図書館の、あの半地下で暗く、閉鎖的な環境、鉄パイプや合板、安っぽい床タイルなどの工業的で無味乾燥な素材、それでいてプロポーションが妙にきれいなインテリアがあり、サッシ窓から差す光が室内のホコリをチリチリと瞬かせている感じに似ていた。本を読む人の孤独っぽい感じが保証されているようで良い雰囲気だと思った。

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この階段なども素っ気ない金属板で、即物的な感じがして心惹かれた。いわゆる名のあるモダニズムの設計者たちは、こういう冷たい素材を使いつつも、それでも空間的に美しい光と影を作ろうとする相反する要素が拮抗していて非常に良い。

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終わり

_DSC1824そういえば先週はスーパームーンという月が巨大に見える日があったと聞く。どれくらい大きく見えたのかは知らないが、今日の帰り道、月が明るかったので、そのことを思い出した。何十年かに一度の現象だったというが、科学的にどのように月が大きく見えるのかは、調べていないので、知らない。